当院の院長、堀田が記事を書いています。わたしに多大な影響を与えた坂本龍一「教授」が他界されて1ヶ月強、教授の音楽を聴いてきました。自分なりに追悼したくPCに向かっています。
私の母方ルーツが、2人の国会議員を出した高知県瓶岩村(現、南国市)の坂本家(坂本素魯哉、坂本志魯雄)であり、「将来、高知県の山奥、できれば海の見えるところに住みたい」と語っていた母方同姓の教授にシンパシーを感じます。
私が高校2年の1986年5月12日。鈴木くんと行った坂本龍一コンサート “Media Bahn Live“ に感動したふたりは帰り道に「よし! 文化祭でYMOのコピーバンドをやろう!」と意気投合しました。同秋、同級生3人でステージに立ったのは以前、高橋幸宏さん追悼記事で書いたとおりです。その後、医学部入学の際、自己紹介で「坂本龍一、新人では高野寛がよろし」と音楽鑑賞の趣味を同級生へ明かしたのでした(みちとせクリニックInstagram (2021年12月21日)参照)。
ピアノとKeyboard, PC の Key を用い、繊細な指先で magic の鍵穴を開けてきた坂本龍一教授。その姿は primitive(原初的、根源的)なルーツ(根)を求める求道者のようでもありました。教授の東洋、西洋に対する哲学は、骨髄移植など血液・悪性腫瘍を専門としながらも2000年に日本東洋医学会に入会した私の考えと似ている、と個人的に感じてきました。
デジタルとアナログ。
指先(digit)を動かすデジタル(digital)な作業。
でも、やってることはアナログ。
上記内容は、2010年4月17日、新宿の紀伊國屋サザンシアターで開かれた、小沼純一さんとの公開講座 “Commmons: schola 音楽の学校”で教授が話されたことです。この時、控えめにうなずいて反応していた私に「おっ! 分かってんじゃん(笑)」と、ニヤッと笑って私を教授が何度か見つめてくれたことは、記憶の宝物として sealed しています。
「血液はプレパラート、顕微鏡があれば、primitive な診断が可能です」。医学部5年のとき、臨床講義で柴田昭という内科教授が教えてくれました。時代は顕微鏡からさらに downwardへ(DNA、量子へ)向かいましたが、結局のところ「upwardへ(蛋白質へ)戻り始める」と2000年前後から言われ始めました。
ここで詳細は語りませんが、2002年に田中耕一さんが蛋白質の研究でノーベル化学賞を受賞した際、東洋医学が必要になることを確信しましたし、今もその気持ちは揺らぎません。Back to the roots. 金のかかる医療に耐えられるほど、この地球に余力はありません。根源、根っこ(生薬、蛋白)に戻っていきます。
さて唐突ですが、教授は白居易(あだなが楽天、通称は白楽天)のような方だったと私は思います。アカデミックでありつつ、民衆を愚弄する体制から距離をおいた結果、左遷されたけれども有能ゆえに結局、権力をもった人。白楽天に「右寄りなのか? 左寄りなのか?」と問うても「さあて…どっちでもないな」と答える気がします。
2022年11月25日の日本経済新聞の記事「とことん自分を愛す」で、白楽天を「71歳まで勤め続けた超高齢官僚」と評していましたが、おなじ71歳で他界した教授もアルバム『12』、ある学校の校歌作曲、病床からの東北ユースオーケストラへ向けた応援コメントなど、癌の末期でも精力的な方でした。RadioSakamoto最終回(2023年3月5日)での盟友、高橋幸宏さんへ向けた教授コメントも、死を前にした人とは思えないユーモアに満ちたものでした。
この期間、ずっとジョギングを続けているような倦怠感(悪液質)があったはずです。そんな中、昨年末のオンラインコンサートで聴衆に向けて教授が笑顔で語った “Let’s enjoy!” は、今でもスゴイなぁと感嘆します。
教授は自由な方でした。白楽天と同様、自然を愛で、楽器を奏し詠い、女性を愛し、最後は水墨画のような世界観をつくっていきました。先に述べたオンラインコンサートはモノクロ画面でした。またアルバム『12』も禅的でした。最後のアルバムを「一筆書き」と酷評する人もいますが、陰陽の世界が分からないんだろうなぁ。もったいない。
独り善し(独善)を大切にした白楽天。
独立、自由を追い求めた教授。
それは「我がまま」ではなく「他助」「公助」をふくめた自由。彼の所属した YMO(Yellow Magic Orchestra)の曲「以心電信」に “You’ve got to help yourself” の歌詞の後、”Then you’ll help someone else”と続きますが、先ず自分が自分自身を愛し受け入れていなければ他人を愛するなんて無理だよね、という自助あっての他助。
聖書の中にも「自分を愛するように隣人を愛しなさい」とありますが、教授はそれができた人だと思います。教授にキリスト教の信仰は無かったはずですが、彼がピアノを学ぶきっかけを作った世田谷幼児生活団の設立者、羽仁もと子はクリスチャンでした。彼女のつくった自由学園。その特集本に教授は「すべてはここから始まった!」とも著しています。『音楽は自由にする』という、教授の著書もあります。
また教授の父方の祖先が隠れキリシタン(※)で、ノブレス・オブリージュなど西洋的な思想を、あっさり自分のものにしているのも幼児期からの教育ゆえ、と思います(ノブレス・オブリージュが重要である旨、教授自身が肉声で語った過去放送が、2023年5月5日の追悼番組、ラジオJ-WAVEの9時間放送で再紹介されました)。
(※)坂本龍一「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」第6回(『新潮』2022年12月号)
自由を求めた人。
情念ではなく情感を求めた人。
教授がつくった”Energy Flow” が流行した頃、メディアがもてはやした「癒し」「癒される」という言葉を嫌った人でもありました。たぶん依存、共依存を徹底的に排除してきた人生だったから、でしょう。それは嫌いな作曲家としてドヴォルザークなど具体的な名前を列挙し、ロマンティックな世界観を遠ざけたこととも通底しています。きっと。
とはいえ、実はとてもロマンティックな人。おちゃめな人。それを隠すためふざけちゃう人。少年のように。
ソロでは見せませんが、別の人とコラボすると「…しょうがないなぁ(笑)」とか笑いをこらえながら、ふざけたりロマン情緒を醸し出した教授。演じている振りをしつつ。自分はそう思います。
“Energy Flow”をカバーした「エナジー風呂」。
おもちゃピアノで遊んでいる教授。アホアホマンとかも、最高です。白楽天、老子、荘子(胡蝶の夢、の人ですね)の世界観。
一方、ロマンの究極は、こんな曲に表れていると思います。
“A Flower Is Not A Flower”
この曲は、二胡奏者の Kenny Wen が教授に依頼して作られました。その際、イメージとして白楽天の漢詩「花非花」を教授に伝えたそうです。
花非花 霧非霧
夜半来 天明去
来如春夢幾多時
去似朝雲無覓処
花にして花にあらず
霧にして霧にあらず
夜半に来たりて 天明に去る
来たること春夢のごとく 幾多の時ぞ
去ること朝雲に似て もとむる処なし
(いんちょう超意訳)
わけありの恋人が、人目をはばかり夜にやってきて、やっと会えた。が、朝日が昇る前には目の前から消えていく。あの花は、あの霧は、どこへ消えてしまったのか? 春の夢のようにわたしの腕の中にあった芳しい香り、幽玄な色、ぬくもり。パルファム、ミストのように消えてしまうのか。何度でも。ああ、消えてしまった。引き留めたいのに、止められない。朝の雲のように流れ去っていくのを。
大貫妙子さんがつけた詞がシンプルで流石です。
夜露に濡れ その葉をたたむ
幼い頃の 姿で眠る
花は目覚め 月を仰ぐ
名はネムノキ 夏の夜の
(後略)
以前から大貫妙子さんの曲「新しいシャツ」を聴くと、なんともいえない切なさを感じてきましたが、前述の「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」連載を読むまで、その曲が生まれた背景を知りませんでした。あえて詳細は書きませんが、上述の花非花、をなぞっています。大貫妙子・坂本龍一のアルバム『UTAU』中、”FLOWER” と名前を変えた同曲を大貫さんが歌っています。
教授は女性にモテました(YMO時代の本 “OMIYAGE” にも明治神宮で若い女性たちに追われる教授の姿が、写真に残っています)。不思議なのは教授と別れた女性たちが、その後も教授と良い関係を続けているケースが多いことです。
斎藤孝さんの著書『最強の世渡り指南書』中、井原西鶴『好色一代男』のモテ男について触れられていますが、なぜモテたか。別れた後も、その女性がずっと幸せであるように願い行動したから。そんなことが書いてありました。約10年前、読んだ本なのでうろ覚えですが。
エロス、フィレオー、アガペー。
愛にはいろんな形がありますが、フィレオー(兄弟愛、親類愛)に近い持続する愛をもっていた方だと思います。教授。
「だから」の愛ではない。「だけど」の愛。
「だけど」愛された教授。
「だけど」愛した教授。
依存、共依存と距離をとる教授が嫌いな最近の言葉は、これらだったと思います。たぶん。
「泣ける」「涙で前が見えない」
人前では簡単に泣かない人だし、泣かせない人だったと思います。
前述の「新しいシャツ」の歌詞にも、それがうかがえる気がします。
さよならの時に穏やかでいられる
そんな私が嫌い
涙も 見せない
嘘つきな 芝居をして
すでに旅立ってしまった教授とのお別れに、私も「穏やかでいられる」はずもないのですが、こればかりは仕様がありません。そろそろお別れの文を書きます。
教授が音楽を担当した映画 “THE SHELTERING SKY” 中、こんなセリフがあります。
「touristは元の場所へ戻れるけど、travelerは戻らない」
人生は旅。
Tour ではなく Travel
この世の人生では、観光を嫌ったことで有名な教授。死に直面しても travel を貫いた気がします。やや前のめり気味に。
「天に上るような仕事をしてほしいから『龍一』と名付けた」と父の坂本一亀さんが生前、語っていたそうです。名は体を表す、と言いますが本当にそう。その名前のせいなのか、お父さんも亀さんのせいか、五行でいえば、教授は「水」の人だったと私は感じています。しかも水滴ではなく「大海」。
花非花には「霧」とありますが、愛する娘の美雨さんをおもい作った “AQUA” も水。アルバム『Out of noise』には、厳寒地の氷山にてサンプリングされた曲もあります。映画『CODA』では雨の中、バケツを頭にかぶった教授が雨音を愉しむ姿が映っています。氷、水、霧。変幻自在なWorld citizen(世界市民).
2017年のアルバム『async』には、映画『惑星ソラリス』を思わせる “solari”という曲がありますが、古城が水に取り囲まれながら徐々に崩れていく様をイメージしました。そもそも、この映画は水の音が多く流れてきます。
大きな龍のように立ちそびえた教授が、人体という器には収まりきらず、徐々に病に浸食されていくようで同曲を聞き返すのがつらかったのですが、大傑作、歴史に残る名作です。音楽室の巨匠たちの写真群に、教授の写真も並ぶことでしょう。いや、教授がそれを望まないか…
先月、出たばかりの村上春樹さんの新作『街とその不確かな壁』には、こんな文章があります。
「夢はきみにとっては、現実世界で実際に起こる事象と同じレベルにあり、簡単に忘れられたり消えてなくなったりするものではなかった。夢は多くのことを伝えてくれる、貴重な心の水源のようなものだった」
読後、私は「きみ」に教授を想いました。そして教授がみた夢は、簡単に忘れられたり消えてなくなったりするものではない。
“A Flower Is Not A Flower”
夢と現実、月と太陽、彼岸と此岸。
究極的には時間は溶けて「いま」しかない。
「でももうそこにはいなくなって
彼は花のように姿を現します
Coming up like a Flower」
芸術は永遠
江戸期には日本も採用していた太陰暦を、イスラエルは今でも採用していますが現地では「月が昇ってきた。新しい日を迎えたね。だから休もう」と一日を寝ることから始めるそうです。起きるのではなく、眠る。
昨夜、こんなことを考えながら満月を観ていました。
「教授、こちらは、もうすぐ新しい日を迎えそうです。だから休みますね。教授もゆっくり休んでください。ではまた。ありがとう教授」
Ryuichi Sakamoto
Requiescat In Pace
#19860512
#坂本龍一
#RyuichiSakamoto
みちとせクリニック
堀田広満
みちとせクリニック堀田広満『勿誤薬室方函口訣に引用された療治経験筆記』。
当院の院長、堀田が書いた論文が先月、『漢方の臨床』(2023年、第70巻・第4号)に載りました。
煎じる刻み生薬を扱う医療者で『漢方の臨床』を知らなければ、その人はモグリです。興味があったら近くの漢方薬局や漢方医に聞いてみてください。ちなみに本雑誌を刊行する東亜医学協会は、昭和13年(1938)に大塚敬節、矢数道明らが中心となり創立されました。今年で85周年。
ちなみに大塚・矢数の御両名は、堀田が8年間奉職した北里大学東洋医学総合研究所の初代・二代目の所長を務められた東洋医学界の大御所です。おふたりの名前を知らない漢方医がいたら、その人もモグリ(笑)
論文名は『勿誤薬室方函口訣に引用された療治経験筆記』
…そもそも、どう読むの?…と言われそう(笑)
ふつごやくしつほうかんくけつ に引用された りょうじけいけんひっき
さて、この論文。2冊の医書を比較検討したものです。前者『勿誤薬室方函口訣』(1878年刊)は浅田宗伯、後者『療治経験筆記』(1795年成)は津田玄仙の著作です。
両書に共通するのは口訣(くけつ)です。口訣とは、ある処方の用い方のコツを、師が弟子に伝える口伝のこと。その一部が医書となり後世に伝えられました。これは日本独特の文化的な結実で、他国にあまり類をみません。当院を受診される患者さんの診療にも、これらの口訣を活かしています。
この口訣をあつかった小説『本売る日々』が2か月前(2023年3月)、出版されました。同書は2つの賞(中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞)を受けています。日本経済新聞の夕刊で紹介されており、すぐ購入しました。口訣が過去の産物ではなく、現代にも息づいていることが分かり、興味深かったので近日、記事にします。
60歳で時代小説家デビュー、67歳で直木賞を受賞した青山文平 氏が、この本を著わされました。
「2023年に入れば安定供給されるようになるかな」と楽観してましたが、漢方の粉薬(エキス剤と呼ばれます)がまだまだ品薄のようです。原因は、漢方が新型コロナウイルス感染症の急性期および慢性期治療に必要とされているから、です。需要があるんですよ。新時代の漢方。
2021年には、全身倦怠感などの新型コロナウイルス感染症の後遺症に補中益気湯が効く、など騒がれ始めていましたが「知る人ぞ知る」ニュースでした。しかし昨年2022年8月には、ついに某社の漢方製剤群が安定供給できないほどとなり、28品目の漢方エキス剤が「生産調整」「限定出荷」となりました。
それがB社、C社…と飛び火したようで、日本国内で漢方エキス製剤をとりあつかう企業が影響を受けています。A社はまだ23品目を出荷できていない(5か月経過した昨年末時点)、とのこと。
さて…当クリニック、みちとせはどうか、というと、生薬そのものを煎じる自由診療なので影響はほぼありません。そもそも漢方のエキス製剤の主な需要は保険診療にあり、保険で十分効果が出るのであれば、それも結構なことです。ただし安定供給は大前提。
たとえてみれば、インスタントコーヒーの在庫がなくなって慌てたお客さんが店員さんに「今度いつ納入されるんですか?」と問い合わせたところで、「とにかく入ると得意先にすぐ売れて、まだ分からないんです!」と現場も状況を把握できていない、というところでしょう。
お客さん。インスタントコーヒーに限らず、コーヒー豆そのものを取り寄せてドリップコーヒーにすれば良いだけの話、かもしれませんぜ。即席では提供できない、アロマの芳醇な香り、濃厚な風味があなたを満たします。
私が危惧しているのは、新型コロナウイルスなど一過性のことではなく、今後かならず起きてくる漢方エキス製剤の価格破壊。インスタントコーヒーにたとえたエキス製剤は、現状の保険診療のままだと(保険の薬価改定などで)値崩れを起こしてきます。中国など他国でも生薬の価値が上がってきており、原価は上昇。一方の保険診療下での売値は、値下がり。となれば、どこかで逆ザヤになってきます。売れば売るだけ企業の赤字に。対策としては生薬の質を落とす、生産農家の人件費を減らす…あまり考えたくないですね。
「保険診療から漢方がなくなるはずが無い」と楽観視する人も多いですが、団塊の世代が団塊でなくなる時代の少し前に、保険診療からの漢方はずしが起きるのでは?と私は考えています。それが私が自由診療に舵をきった理由のひとつです。いや、もっとポジティブに、いにしえから伝わる元々の漢方をお出ししたい、だけなのですが。
いま起きている漢方エキス不足、その混乱は、これからちょっと先の時代の予行演習かもしれません。
あなたもどうですか? ドリップコーヒー。良質な豆をとりそろえるように、適正な生薬が入ってきているか、目を光らせつつ日々、生薬を患者さんにご提供しています。
違いの分かる人には分かる、煎じ生薬。自信をもってお勧めします。
【以上、転載禁止】
みちとせクリニック院長
堀田広満
日本東洋医学会の学術総会が本日5月27日~29日まで開催中です。
今回が第72回。歴史ある学会。院長の私も演題が採択され、一般演題を発表しています。

カテゴリーは医学史。聞き慣れないことばですね。漢文など古典書物などから、その当時の医術を読み解いたり、現代医療との比較検討をおこなったりします。「なんちゃって漢方医」とか「なんとか王子」とか、つくしのように乱立してますが、古典を読まずにどこを自分の診療の拠り所にしているのか、いささか心配になります(笑)
『勿誤薬室方函口訣』に引用された『療治経験筆記』
ことしのテーマはこれにしました。「浅田飴」で知られる、浅田宗伯があらわした『勿誤薬室方函口訣』(ふつごやくしつほうかんくけつ)は、保険診療で用いられる漢方エキス処方の原典としてもかなりのウェイトを占めています。
さて、その『勿誤薬室方函口訣』のルーツはどこにあるのでしょうか?
それに関する指定講演を北里大学東洋医学総合研究所で命じられたのが、2016年の漢方治療研究会で、私の演題名は『勿誤薬室方函口訣』の出典調査から、でした。このポスター、実は私がつくりました!

向かって右の人物が、浅田宗伯先生です。
「陳皮-2」の記事を書く前に、新型コロナ感染症に関しての良書『新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実』(峰 宗太郎・山中 浩之 著)を紹介します。

TVで峰医師をみた方も多いのではないでしょうか。本当に現場に必要とされる医師はテレビに出演する時間もない場合が多く、TVに出ている時点で「嘘なんじゃね? 大丈夫?」と斜に構えてコメントを聞くべきこともあります。が、この本はバランスがとれていて首肯できます。対談相手の山中さん(以下Y)が医療者ではないのが功を奏しており、一般の方には理解しやすいと思います。
(以下、引用始)
峰 ご自身が、本を閉じてからまずやるべきことを考えてみてください。(中略)それは、「本は読んだけど、峰とYさんから聞いたことを、本当に丸呑みしていいの?という疑問を感じること」です。
Y お金を払ってお読みいただいたラストに、ものすごい結論が来ました。怒られないといいんですが…
峰 でもそういうことですよ。これで、峰が、あるいはYさんが言うことはみんな正しい、なんて思うなら、おそらく別の本を読んだらまたひっくり返る、出てきた情報に飛びついて振り回される、そういう可能性があるってことでしょう。峰が正しいか、別のなんとか先生が正しいか、などということは、はっきり言えばどうでもいいんです。
(引用終)
終始こんな感じ(笑)。オミクロン型が出現する前の出版(初版2020年12月)ですが、オミクロンなど潜伏期間の短い型が出現した現在でも、科学の正しい捉え方、集団へのPCR検査の意味(特異度、感度)など総論はためになります。
この本で挙げられた「呼吸器感染症の予防法リスト」。これからも重要です。
- 栄養と睡眠をしっかりとる
- 手指衛生(手洗い)の徹底
- 咳エチケット
- 3密を避ける
- 体調不良者と接触しない、体調不良なら外出しない
- マスクの着用
- 十分な換気
- うがいについては水で十分
「当たり前の【よく食べ】【よく眠る】が感染症対策のゴールデンルール」と1章のまとめに書かれています。上記の予防法リストにも「ワクチン」と書かれていないのがポイントです。ワクチンより先にやるべきことがある、という点は今も変わりがありません(この点、実は2019年まで大流行していたインフルエンザもまったく同様)。「栄養と睡眠」は養生であり、「栄養」は生薬、「睡眠」は針灸をふくめた自律神経系の調節ともかかわりが深いです。
ところで東洋医学にたずさわる方の中に、トンデモ本を出す人がいるのは本当に残念です。恥ずかしい。私は常に西洋医学のフィルターをとおして、東洋医学をみつめる習慣をつけています。その上で、目の前の患者さんにとって西洋医学の方が better と判断すれば、東洋医学ではなく西洋医学が良い旨、つたえています。
文責 みちとせクリニック院長
堀田広満
デカルトを中心とした近世の哲学者らによって始まった科学、サイエンスですが、彼が『方法序説』を著した1637年から384年間(2021年現在)経過しており、おおざっぱに言えば、彼らの哲学が科学の主流となって約400年を過ぎました。そろそろ、その哲学に反動がくる、いやもう来ているかと感じています。
「私は目に見えない現象は信じない。またその現象が再現性、つまり繰り返し証明されるものでなければ、信じない」現代科学の主流は、この要素還元論にもとづきます。
私も西洋医学を修める際、西洋哲学は徹底的に仕込まれました。白血病など悪性腫瘍を専門とし移植医療、抗がん剤など化学療法を主体に治療してきた経歴をもつ私は、現在も科学の重要性を否定しません。人間はだまされやすいから、です。
その一方で要素還元論(単純系の科学)が万能ではないことを痛感してきました。臨床現場で患者さんに真剣に対峙し、逃げずに治療を突き詰めればその結論に達するはずです。そして複雑系をとりあつかえる医学、漢方、針灸に出会いました。医者となり5年目(2000)、移植医療にたずさわりつつ日本東洋医学会に入会し、あれから21年。
現在、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が猛威をふるっていますが、科学的な判断を厳密におこなうための治験も十分におこなわれず(というよりも、その緊急性のため行えず)、世界各国でワクチンが接種されています。なのでデルタ株、これから拡大するであろうラムダ株などの更なる変異型が今後、今のワクチンで切り抜けられるかは未知数です。デカルトが言った「科学」的に考えれば。繰り返しの証明ができないので。現時点での正当な科学の答えは「分からない」が正しい。
感染予防のエビデンスに乏しいと言われてきたマスク着用も結局、感染の有無に関係なく重要であることを、皆さんは既に御存知でしょう。コロナワクチンの接種を済ませても、マスクはしばらく必要です。いわゆるブレイクスルー感染ですが、ワクチン接種完了後も新型コロナウイルスに感染する事例が多く、いまイスラエル、イギリスなど各国がこの反省の切っ先に立っています。
コロナ禍の当初、ある番組で「(予防に)非感染者がマスクを着けるのは意味がない」と発言していた医師がいました(単純系の科学では、ある意味正しいです。エビデンスが無いので。ですが、私はCOVID-19に限らずマスクをしてきました)。その際、お笑い界の「殿」が「先生がマスクしているのを見たら、たたいてやるぞ!(笑)」という趣旨で笑わせていましたが、その後、どうなったでしょうかネ。
科学はカッコイイのですが万能ではなく、しかしそれでも重要なものです。単純系の要素還元論、また複雑系の東洋医学はそれぞれ対立するものではなく、補完しあうものと私はとらえます。
そういえば昨年末(2020)から「風の時代」がはじまった、という人もいます。
簡単にいえば、上級国民が主流でなくなり、むしろ庶民が主体となる時代。
マテリアル(モノ、カネ)から情報、精神(伝達、スピリチュアル、愛)へ。
モノ・カネを右から左に動かすだけでは、富が生まれなくなった時代。
むしろ伝達する人、隣人に分け与える人が生きやすくなる一方、自分の手を汚さないサイコパスには生きづらい時代、とも言えましょう。ある意味、正しい反動です。
5年前(2016)わたしが『小児外科』誌に寄稿した「小児漢方の歴史と未来」に、こんな文章があります。
(引用始、図を参照)

「日本史の周期性を論考する。都が京都、鎌倉、江戸と遷ったがおのおの、間隔は約400年である。平安京(794年)から鎌倉開府(1192年)まで貴族による中央集権が続いたが、その後戦国の世となり、関ヶ原の戦い(1600年)までは各領地をもつ武家が乱立した。この約800年のあいだ、主たる医療者は前4世紀が宮廷医、後4世紀は僧医であり、両者は劇的にシフトした。また江戸開府(1603年)から近年まで4世紀間、主な危機は内乱よりも国外にあり、再び中央集権化したが、2001年の9.11以降世界的には内乱、テロが勃発し中世と似た状況にある」
(引用終)
ヒトの寿命が200年、300年と伸びていかない限り、この周期性は失われないと推察しています。これから400年、戦争よりもむしろ内乱・テロに要注意と考えます。香港、ミャンマー、ハイチ、アフガニスタンなど、この2年で様変わりした世界で、日本も変化していくでしょう。
つまり今後、中世還りをするとわたしは考えています。古典にもとづく東洋医学も出番が増えます。「いまさら漢方? 針灸?」と感じる方もいるでしょう。しかし、これからの時代、先祖がのこしてくれた経験値、生薬・針といった手にとれる歴史的遺産が、また医療施設というハード面の境界線を超える垣根の低いボーダーレスな、フットワークの軽さが重要と思います。
今年、厚生労働省が柔軟な対応に踏み切ってくれたオンライン診療も、治験や新薬には不向きですが一方、歴史の蓄積がある治療には向いています。また訪問診療やオンライン診療が増える今後、必要とされる医者は中世・戦国時代の「僧医」と似てくるでしょう。外に出ない内向きな平安時代の「宮廷医」よりも。
前述の論文で、わたしはこうも書きました。
(引用始)
「わが国の医療は緩やかに中世還りをするはずだ。保険診療の財源確保が困難ゆえ患者が自動的・安定的に来院する時代は終わり、医療機関の経営は不安定性を増す。中世に僧医が担った働きのごとく、今後アウトリーチ、社会への働きかけが不可欠で、身体性のみならず精神性、社会性の視座から患者にかかわる医師がより求められるだろう」
(引用終)
最後になりますが、スマトラ島沖地震(2004年)をおぼえているでしょうか? この震災で、巨大な津波を生き延びた象たちがいたのですが、何ゆえでしょうか? 答えは、巨大地震を経験した年老いた象が群中にいたか否か、だそうです。
激しい地震の揺れ、その意味を感じとれたのは、年老いた象でした。その危険性を記憶していた、老人ならぬ老「象」。「逃げろ!」と新しい方向、ベクトルを示せた根拠が「分析」「再現性」ではなく「経験」であった好例です。新しいもの、新しい情報のみに頼ると、細き声を聞き逃すこともあります。
2011年、東日本大震災の津波の際も、同様な津波の経験から建てられた石碑(自然災害伝承碑)を認知していた住民が、石碑より内陸へ逃げるよう周知されていた結果、被災をまぬがれた例もあります。石碑から出ていた先祖の声が聞こえたか、聞く気がなかったか。
サイン、予兆はすべての人に平等にある。が、その意味は人生の経験値、歴史の経験知に拠って変わる、とも学べるかと思います。人類にとって津波級にインパクトの強い、今回の新型コロナウイルス感染症は慢性に経過する症状(long COVID)もあります。経験知の集積である古典に拠りつつ、微力ながら私も東洋医学で貢献したいと願います。
眠っている巨象、起きろ。
【以上、転載禁止】
文責 みちとせクリニック
院長 堀田広満
明日、みちとせクリニック院長 堀田がオンラインで30分間、講演します。
漢方治療研究会で指定講演をした以来なので、久しぶりですなぁ。

私に与えられたテーマは「子どもの成長発達をサポートする漢方薬」です。
シンポジウムのトップバッター。
講演するよう指名してくださった先生方、また準備をすすめてくれた方々。
お疲れ様です。感謝します。
本クリニックの初ブログに記した、雑誌『東京人』。
(2021年6月時点での)最新号の特集は、その名も「東洋医学のチカラ」!

数日前、紹介した江口寿史さん pop なイラストの4月号と並べて、写真を撮ってみました。うーん、東洋医学も pop なのが分かりますねぇ(笑)
『東京人』は時々、購入していますが、テーマがなかなか面白いです。「シティ・ポップが生まれたまち」特集号は、Amazon口コミをみたら高評価でした。
さて「東洋医学のチカラ」特集号。私が9年間、奉職した北里大学東洋医学総合研究所【略して「東医研」(トウイケン)】のなつかしい先生方、薬剤師さん、針灸師さん、また日本東洋医学会の委員会で辞書・医学書作りに4年間、私が共に仕事をしてきた先生方が、インタビューを受けています。
その中のお一人。東洋医学、とくに古典を学ぶ者で、その名を知らなければモグリ間違いなしの、小曽戸洋(こそとひろし)先生も執筆されています。私が先生とお近づきになったのは、今から10年前、2011年のこと。
わたしの漢方の師匠、花輪壽彦先生が古典をスラスラ読みこなし、実施診療に活かしているのをみて、古典の重要性に気づきました。古典を読み解く中、しかし1人ではどうしても打開できない壁があり、東医研の医史学教室の小曽戸先生に初めてお声がけしたのでした。
学問に厳しい一方、音楽などの趣味が多彩。人間味があり、尊敬しています。今回の特集号では、巻頭の文面と「これだけは押さえたい漢方の歴史」の2か所、執筆されています。
その中でも7,8年前『孫真人玉函方』(そんしんじんぎょくかんほう)という中国の古典が、千葉県の博物館で展示されたことを知り、その重要性にいち早く気づいた先生が「すぐに飛んでいきました」と書いており「先生らしいなぁ、ワクワクして本当に急ぎ足になっておられたのだろうなぁ」と、顔がほころんでしまいました。
拝見しましたが、やはり文才があるなぁ、と。読ませるのが上手な、読み手にアクセルを踏ませる小説家っていますが、読後の感覚が似てます。
さて、私が「みちとせ」と名付けたクリニック。「…3,000年なんて大袈裟なんじゃね?」と言う人もいるかもしれません。用意周到な私は開業前、ある本の記載から自信をもって「三千歳」と名のることにしました。
小曽戸洋『中国医学古典と日本』序章頭より引用始。
「中国には約3,000年、日本にはその半分の1,500年にわたる伝統医学の歴史がある」
(以上、引用終)
塙書房から出版された同書。東洋医学の全体像をとらえる、良い専門書です。約10年前の私がそうであったように、「なんちゃって漢方」「なんちゃって針灸」を抜け出したい方、ぜひお読みください。
みちとせクリニック院長 堀田広満