当院の院長、堀田が記事を書いています。わたしに多大な影響を与えた坂本龍一「教授」が他界されて1ヶ月強、教授の音楽を聴いてきました。自分なりに追悼したくPCに向かっています。

私の母方ルーツが、2人の国会議員を出した高知県瓶岩村(現、南国市)の坂本家(坂本素魯哉坂本志魯雄)であり、「将来、高知県の山奥、できれば海の見えるところに住みたい」と語っていた母方同姓の教授にシンパシーを感じます。

私が高校2年の1986年5月12日。鈴木くんと行った坂本龍一コンサート “Media Bahn Live“ に感動したふたりは帰り道に「よし! 文化祭でYMOのコピーバンドをやろう!」と意気投合しました。同秋、同級生3人でステージに立ったのは以前、高橋幸宏さん追悼記事で書いたとおりです。その後、医学部入学の際、自己紹介で「坂本龍一、新人では高野寛がよろし」と音楽鑑賞の趣味を同級生へ明かしたのでした(みちとせクリニックInstagram (2021年12月21日)参照)。

ピアノとKeyboard, PC の Key を用い、繊細な指先で magic の鍵穴を開けてきた坂本龍一教授。その姿は primitive(原初的、根源的)なルーツ(根)を求める求道者のようでもありました。教授の東洋、西洋に対する哲学は、骨髄移植など血液・悪性腫瘍を専門としながらも2000年に日本東洋医学会に入会した私の考えと似ている、と個人的に感じてきました。

デジタルとアナログ。
指先(digit)を動かすデジタル(digital)な作業。

でも、やってることはアナログ。

上記内容は、2010年4月17日、新宿の紀伊國屋サザンシアターで開かれた、小沼純一さんとの公開講座 “Commmons: schola 音楽の学校”で教授が話されたことです。この時、控えめにうなずいて反応していた私に「おっ! 分かってんじゃん(笑)」と、ニヤッと笑って私を教授が何度か見つめてくれたことは、記憶の宝物として sealed しています。

「血液はプレパラート、顕微鏡があれば、primitive な診断が可能です」。医学部5年のとき、臨床講義で柴田昭という内科教授が教えてくれました。時代は顕微鏡からさらに downwardへ(DNA、量子へ)向かいましたが、結局のところ「upwardへ(蛋白質へ)戻り始める」と2000年前後から言われ始めました。

ここで詳細は語りませんが、2002年に田中耕一さんが蛋白質の研究でノーベル化学賞を受賞した際、東洋医学が必要になることを確信しましたし、今もその気持ちは揺らぎません。Back to the roots. 金のかかる医療に耐えられるほど、この地球に余力はありません。根源、根っこ(生薬、蛋白)に戻っていきます。

さて唐突ですが、教授は白居易(あだなが楽天、通称は白楽天)のような方だったと私は思います。アカデミックでありつつ、民衆を愚弄する体制から距離をおいた結果、左遷されたけれども有能ゆえに結局、権力をもった人。白楽天に「右寄りなのか? 左寄りなのか?」と問うても「さあて…どっちでもないな」と答える気がします。

2022年11月25日の日本経済新聞の記事「とことん自分を愛す」で、白楽天を「71歳まで勤め続けた超高齢官僚」と評していましたが、おなじ71歳で他界した教授もアルバム『12』、ある学校の校歌作曲、病床からの東北ユースオーケストラへ向けた応援コメントなど、癌の末期でも精力的な方でした。RadioSakamoto最終回(2023年3月5日)での盟友、高橋幸宏さんへ向けた教授コメントも、死を前にした人とは思えないユーモアに満ちたものでした。

この期間、ずっとジョギングを続けているような倦怠感(悪液質)があったはずです。そんな中、昨年末のオンラインコンサートで聴衆に向けて教授が笑顔で語った “Let’s enjoy!” は、今でもスゴイなぁと感嘆します。

教授は自由な方でした。白楽天と同様、自然を愛で、楽器を奏し詠い、女性を愛し、最後は水墨画のような世界観をつくっていきました。先に述べたオンラインコンサートはモノクロ画面でした。またアルバム『12』も禅的でした。最後のアルバムを「一筆書き」と酷評する人もいますが、陰陽の世界が分からないんだろうなぁ。もったいない。

独り善し(独善)を大切にした白楽天。
独立、自由を追い求めた教授。

それは「我がまま」ではなく「他助」「公助」をふくめた自由。彼の所属した YMO(Yellow Magic Orchestra)の曲「以心電信」に “You’ve got to help yourself” の歌詞の後、”Then you’ll help someone else”と続きますが、先ず自分が自分自身を愛し受け入れていなければ他人を愛するなんて無理だよね、という自助あっての他助。

聖書の中にも「自分を愛するように隣人を愛しなさい」とありますが、教授はそれができた人だと思います。教授にキリスト教の信仰は無かったはずですが、彼がピアノを学ぶきっかけを作った世田谷幼児生活団の設立者、もと子はクリスチャンでした。彼女のつくった自由学園。その特集本に教授は「すべてはここから始まった!」とも著しています。『音楽は自由にする』という、教授の著書もあります。

また教授の父方の祖先が隠れキリシタン(※)で、ノブレス・オブリージュなど西洋的な思想を、あっさり自分のものにしているのも幼児期からの教育ゆえ、と思います(ノブレス・オブリージュが重要である旨、教授自身が肉声で語った過去放送が、2023年5月5日の追悼番組、ラジオJ-WAVEの9時間放送で再紹介されました)。

(※)坂本龍一「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」第6回(『新潮』2022年12月号)

自由を求めた人。
情念ではなく情感を求めた人。

教授がつくった”Energy Flow” が流行した頃、メディアがもてはやした「癒し」「癒される」という言葉を嫌った人でもありました。たぶん依存、共依存を徹底的に排除してきた人生だったから、でしょう。それは嫌いな作曲家としてドヴォルザークなど具体的な名前を列挙し、ロマンティックな世界観を遠ざけたこととも通底しています。きっと。

とはいえ、実はとてもロマンティックな人。おちゃめな人。それを隠すためふざけちゃう人。少年のように。

ソロでは見せませんが、別の人とコラボすると「…しょうがないなぁ(笑)」とか笑いをこらえながら、ふざけたりロマン情緒を醸し出した教授。演じている振りをしつつ。自分はそう思います。

“Energy Flow”をカバーした「エナジー風呂」。

おもちゃピアノで遊んでいる教授。アホアホマンとかも、最高です。白楽天、老子荘子(胡蝶の夢、の人ですね)の世界観。

一方、ロマンの究極は、こんな曲に表れていると思います。
“A Flower Is Not A Flower”

この曲は、二胡奏者の Kenny Wen が教授に依頼して作られました。その際、イメージとして白楽天の漢詩「花非花」を教授に伝えたそうです。

花非花 霧非霧
夜半来 天明去
来如春夢幾多時
去似朝雲無覓処

花にして花にあらず
霧にして霧にあらず
夜半に来たりて 天明に去る
来たること春夢のごとく 幾多の時ぞ
去ること朝雲に似て もとむる処なし

(いんちょう超意訳)
わけありの恋人が、人目をはばかり夜にやってきて、やっと会えた。が、朝日が昇る前には目の前から消えていく。あの花は、あの霧は、どこへ消えてしまったのか? 春の夢のようにわたしの腕の中にあった芳しい香り、幽玄な色、ぬくもり。パルファム、ミストのように消えてしまうのか。何度でも。ああ、消えてしまった。引き留めたいのに、止められない。朝の雲のように流れ去っていくのを。

大貫妙子さんがつけた詞がシンプルで流石です。

夜露に濡れ その葉をたたむ
幼い頃の 姿で眠る
花は目覚め 月を仰ぐ
名はネムノキ 夏の夜の
(後略)

以前から大貫妙子さんの曲「新しいシャツ」を聴くと、なんともいえない切なさを感じてきましたが、前述の「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」連載を読むまで、その曲が生まれた背景を知りませんでした。あえて詳細は書きませんが、上述の花非花、をなぞっています。大貫妙子・坂本龍一のアルバム『UTAU』中、”FLOWER” と名前を変えた同曲を大貫さんが歌っています。

教授は女性にモテました(YMO時代の本 “OMIYAGE” にも明治神宮で若い女性たちに追われる教授の姿が、写真に残っています)。不思議なのは教授と別れた女性たちが、その後も教授と良い関係を続けているケースが多いことです。

斎藤孝さんの著書『最強の世渡り指南書』中、井原西鶴『好色一代男』のモテ男について触れられていますが、なぜモテたか。別れた後も、その女性がずっと幸せであるように願い行動したから。そんなことが書いてありました。約10年前、読んだ本なのでうろ覚えですが。

エロス、フィレオー、アガペー。
愛にはいろんな形がありますが、フィレオー(兄弟愛、親類愛)に近い持続する愛をもっていた方だと思います。教授。

「だから」の愛ではない。「だけど」の愛。
「だけど」愛された教授。
「だけど」愛した教授。

依存、共依存と距離をとる教授が嫌いな最近の言葉は、これらだったと思います。たぶん。

「泣ける」「涙で前が見えない」

人前では簡単に泣かない人だし、泣かせない人だったと思います。

前述の「新しいシャツ」の歌詞にも、それがうかがえる気がします。

さよならの時に穏やかでいられる
そんな私が嫌い
涙も 見せない
嘘つきな 芝居をして

すでに旅立ってしまった教授とのお別れに、私も「穏やかでいられる」はずもないのですが、こればかりは仕様がありません。そろそろお別れの文を書きます。

教授が音楽を担当した映画 “THE SHELTERING SKY” 中、こんなセリフがあります。
「touristは元の場所へ戻れるけど、travelerは戻らない」

人生は旅。
Tour ではなく Travel

この世の人生では、観光を嫌ったことで有名な教授。死に直面しても travel を貫いた気がします。やや前のめり気味に。

「天に上るような仕事をしてほしいから『龍一』と名付けた」と父の坂本一亀さんが生前、語っていたそうです。名は体を表す、と言いますが本当にそう。その名前のせいなのか、お父さんも亀さんのせいか、五行でいえば、教授は「水」の人だったと私は感じています。しかも水滴ではなく「大海」。

花非花には「霧」とありますが、愛する娘の美雨さんをおもい作った “AQUA” も水。アルバム『Out of noise』には、厳寒地の氷山にてサンプリングされた曲もあります。映画『CODA』では雨の中、バケツを頭にかぶった教授が雨音を愉しむ姿が映っています。氷、水、霧。変幻自在なWorld citizen(世界市民). 

2017年のアルバム『async』には、映画『惑星ソラリス』を思わせる “solari”という曲がありますが、古城が水に取り囲まれながら徐々に崩れていく様をイメージしました。そもそも、この映画は水の音が多く流れてきます。

大きな龍のように立ちそびえた教授が、人体という器には収まりきらず、徐々に病に浸食されていくようで同曲を聞き返すのがつらかったのですが、大傑作、歴史に残る名作です。音楽室の巨匠たちの写真群に、教授の写真も並ぶことでしょう。いや、教授がそれを望まないか…

先月、出たばかりの村上春樹さんの新作『街とその不確かな壁』には、こんな文章があります。

「夢はきみにとっては、現実世界で実際に起こる事象と同じレベルにあり、簡単に忘れられたり消えてなくなったりするものではなかった。夢は多くのことを伝えてくれる、貴重な心の水源のようなものだった」

読後、私は「きみ」に教授を想いました。そして教授がみた夢は、簡単に忘れられたり消えてなくなったりするものではない。

“A Flower Is Not A Flower”

夢と現実、月と太陽、彼岸と此岸。

究極的には時間は溶けて「いま」しかない。

「でももうそこにはいなくなって

彼は花のように姿を現します

Coming up like a Flower」

YMO “Nice Age”

芸術は永遠

江戸期には日本も採用していた太陰暦を、イスラエルは今でも採用していますが現地では「月が昇ってきた。新しい日を迎えたね。だから休もう」と一日を寝ることから始めるそうです。起きるのではなく、眠る。

昨夜、こんなことを考えながら満月を観ていました。

「教授、こちらは、もうすぐ新しい日を迎えそうです。だから休みますね。教授もゆっくり休んでください。ではまた。ありがとう教授」

Ryuichi Sakamoto
Requiescat In Pace

#19860512

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みちとせクリニック
堀田広満