出席感想_漢方・鍼灸とエビデンスをテーマとした第75回日本東洋医学会学術総会(新宿)
一昨日から本日まで(2025年6月6日~8日)おこなわれた、日本東洋医学会学術総会に参加、口演もしてきました。
個人的に印象に残ったのはシンポジウム「未病を治す - 免疫でひもとく東洋医学のメカニズムとエビデンス」、とくに腸内細菌と漢方薬の関連について発表された、理化学研究所の佐藤尚子先生の演題でした。腸内細菌と漢方のことは2018年にも記事化している私。フロアから先生に「葛根のイソフラボンを代謝できる腸内細菌叢をもつ人、もたない人がいるように、他生薬もしくは他処方で、クラスターとして『証』の違いを考えうるものはありますか?」と質問したのも私です。佐藤先生ありがとうございました。

一昨日は医書の歴史的考察をおこなう医史学のセッションを聴講できたのですが、昨日(2日目)は診療が立て込んでいたので出席できず残念でした。特に浅田宗伯のシンポジウムは出たかった。また千葉古方の生き字引、寺澤捷年先生の瑞宝中綬章叙勲記念講演、聴きたかったです。
会場は新宿の京王プラザホテルでした。準備・運営をされた先生方、お疲れ様でした。同じ立場で動いたことがあり、その大変さはよく分かります。思い返せば私は四半世紀、日本東洋医学会に所属(当学会の会員番号が私は2000から始まり、2000年に入会したことを意味)していますが、様々な変化を感じました。
- 抄録が手元に入るのが3,4週遅くなった(pdfデジタル化ゆえか残念)。
- 今年のテーマのせいか、エビデンス、西洋医学に寄せた発表が増えた。
- 一般演題の発表、とくに医史学や煎じ薬の発表が少なくなった(私の入会当時、バブルはとっくに弾けてましたが、煎じの漢方、刻み生薬の発表が多かったです。確実に。学術総会の抄録を各年度で見返して、煎じ薬の発表かそれともエキス剤(漢方の粉薬)の発表か、各々の演題数をチェックしたなら、煎じ薬の発表が減った、と有意差が出ると思います)。
- 次に「ただいまのご発表に何かフロアから質問がありますか?」と一般演題の発表に対して座長が語ると、以前は、すぐさま質問のある人が立ち上がることが多く、クセ強(←失礼、誉め言葉です)の先生が「先生、それは間違っている!」とか大声でマイクを「キーン!」とハウリングさせたり、「私の考えるところでは…」と(あなたが演者でしたっけ?と思わせるほど)延々と自説を述べたり、座長泣かせの人が多かった。
みなさん大人しくなりましたねぇ。はたして良いのか、悪いのか。ここは西洋かぶれにならず、クセ強のままが良い気がします。どこぞの学会で、白馬に乗って会場に現れた大御所がいるとか、いないとか、そんな話もあり、そこまで神がかった感じを醸し出さなくても良いのですが(笑)
また異変として感じるのは「撮影は禁止です」と注意があるのに、関係なくパシャパシャとスマホ、デジカメ、ひどい時はビデオで撮影している人々(若者はむしろ少ない)が増えたことです。こういう人たちは、自宅に帰ってから勉強すれば救いがあるのですが、おそらく復習しません。今後もずっと同じことを繰り返し、頭に知識が積み重ならないんです。
「見る」に see と watch があるように、写真を撮るだけは see で,頭もしくは手を動かしている人は watch.
電車の車窓で「途中、あの看板に何が書いてあった?」と聞かれて、see の人は思い出せず、watch の人は正解を言える。心構えの違いです。同じようにみえて後々、大きく変わってきます。塵もつもれば、チリツモ。
座長も注意すればいいのにな、と思いました。とくに前述の佐藤先生が「論文化を検討中のデータで今回、スライドを提示するか否か迷いました」と語っているスライドに対しても、容赦なく写真を撮っている人がいて、これはもはや盗人と同じで、このデータが他の研究機関に盗まれたら訴えられてもおかしくないぜ?と感じていました。科学者も医療業界人も最終的には倫理だぜ?
話は変わって私が日本東洋医学会に入会した当時、首相であった森喜朗 氏が新幹線に乗車中、新聞を切っては分ける作業を繰り返して結果、その新聞は捨ててしまったのをそばで見ていた人が「なんで捨てるんですか?」と聞いたところ、氏が「手を使って(新聞を)破る作業をすることで、大切な記事の内容を覚えられるんだよ」という趣旨の話をしたそうです。なるほど、とその話を聞いて私は感じ入りました。
学会の演題内容をカメラで撮影する人は、カメラのファインダー大、手のひら大のサイズ感で世界を小さく見て、分かった気になっているのです。永久的にPCに入れても半永久的に頭に思い出さないデータと、目の前から捨てているようで頭に残るデータ。決してスマートではないけれど、クセ強の先生が質問していた内容は、なかなか忘れないものです。
25年間の来し方を今、思い返しています。今春、他界された山崎正寿先生は、京都の聖光園細野診療所で学ばれた方ですが、ご自分の師匠筋にあたる浅田宗伯に関して思い入れの強い方でした。私がある方から指定講演を頼まれ、浅田宗伯の代表著書の研究「『勿誤薬室方函口訣』の出典調査から」を学会で発表したことがあります。その際、降壇した私に対し、山崎先生は駆けつけるように「先生、初めまして。浅田に何か傷つけるようなことを言わないか聴いておりましたが、良い発表でした。ありがとう」と語りかけてくださいました。
お話をしたのは、その時だけですが、昨日のことのように覚えています。まるで浅田が自分の恋人であるかのようでした。そういう体温のある会話が、東洋医学の知識にはタグ付けされて積分されていきます。
今回の学術総会テーマは「東洋医学のエビデンス」でしたが、エビデンスのない EBM(学術的根拠)もあります。エビデンスではない EBM には、先人の智恵、思いもあるなぁ、と山崎先生の笑顔をいま思い出しています。今回、浅田宗伯のシンポジウムで演者に指名されていた先生。発表したくて無念だったろうなぁ、と心を痛める院長なのでした。
今後、日本の東洋医学で大切なのは先人の想いを受け継ぐ人間がどれだけ残っているか、です。
「1代目が土地を買い、2代目が家を建て、3代目が家と土地を売る」
- 1代目は何もないところから知恵をしぼって、汗水たらして土地を買う
- 2代目は父の苦労を知っているけど、その知恵の根拠を watch したつもりで実は see のままで、それでも親の七光り・慣性の法則で事業を拡張、眼に見える家を建てる
- 3代目が物心ついた時、すでに初代は他界しており、苦労なしに見える父をリスペクトすることもなく「事業?楽勝っす」と引き継いで失策。先代の家・土地を売り飛ばす
昭和漢方の立役者、大塚敬節・矢数道明らを中興の祖、1代目とすると、われらは3代目くらいに位置するのではないでしょうか。さきに述べた寺澤先生は今回抄録にこう記しています。「昭和40(1965)年当時の日本には、漢方を臨床実践する医師は30人足らずであったのです」
1950年、龍野一雄が同学会の初代会長になってから15年後、私が東洋医学をめざすきっかけを作った広瀬滋之をふくめ40,50人、あるいはもっと多くいた気もしますが文献を調べないと分かりません。が、少なかったのは確かです。祖父にあたるくらいの先人たちに、いまの学会員たちの何割がリスペクトをもっているでしょうか。会社も3代目がつぶすことが多いですが、気を引き締めて、日本の伝統医学の歴史にまっすぐに向き合いましょう。すこし真面目な話。
パクリとオマージュの違いは、リスペクトがあるか否か。ラップのサンプリングでいつも話題になりますが。東洋医学も同じです。先人へのリスペクト。発表者へのリスペクト。これ大事。これが無いのは、ただのパクリ野郎、盗っ人なんで。エビデンス以前の話。私もふくめて皆さん、気を付けましょう。
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みちとせクリニック院長
堀田広満