当院、みちとせクリニックを開業し3周年となりました。

写真は、港区某ホテルで行われたお祝いの会の一コマです。

粋な計らいで頂いたお祝いプレートは、お店の名前が桃にまつわるからか、蓮餡入りの桃まんじゅう!

最近、患者さんにこんなことを聞かれました。

「院内の内装のアクセントがピンク色なのは、どうしてなんですか?」

こんな風にお応えしました。

「みちとせの桃、という故事の桃をイメージして、ピンク色なんですよ。それに東洋医学って陰陽、白黒の世界観で気難しそうじゃないですか。東洋医学って本当はもっとカラフルな医療なんですよ。なのでピンク、桃色なんです」

当院のホームページを開設した際、院長挨拶にも記しましたが不老長寿の桃。3,000年に一度花ひらく(千歳が3つで みちとせ)と伝えられました。3,000年つづいてきた東洋医学は今後も消えることはありません。この医学にたずさわれることが楽しくて仕方ありません。ありがたいことです。

ふかふかの桃のフォルム、蓮(はす)のあん、はふはふ言いながら食べる熱々のお饅頭。最高でした。お祝いいただきありがとうございました! みちとせの桃を食べた気になって、これからもパワフルに邁進します!

みちとせクリニック院長

堀田広満

漢方の生薬も「第6の栄養素」(※)と言われる食物繊維を介して、腸内細菌の改善、酵素の産生をうながす効果がわかってきています。東洋医学に力を入れる当クリニックでは、煎じ薬をつくる時間もない多忙な方、未病の方のお力になりたく、生薬を原料とする発酵食品も販売しています。

(※)リンクは厚生労働省e-ヘルスネット

加齢とともに減少する酵素(消化酵素や代謝酵素)は体内で消化・吸収・代謝・排泄など、すべての生命活動を促す触媒(ショクバイ、なかだち)として働きます。成人になると残念ながら、この酵素は年齢とともに減少します。

「激動の時代に多忙」

「食事の時間も面倒」

そんなこんなで日々、酵素の減少が早まっている人も多いのではないでしょうか。

Edward Howell(自身99歳まで長寿を実践した、アメリカのイリノイ州立医大卒の医師)の言 

「一生のうち、体内で生成される酵素の量には限りがある

発酵食品「海玉膏®」(かいぎょくこう)

    海玉膏®     海玉膏® Grande (グランデ)
10g×30包  
メーカー希望小売価格
10,584円(内税)
10g×60包  
メーカー希望小売価格
19,980円(内税)
1回1包、1日1回から3回を目安にお召しあがりください。

価格が高いと感じるかもしれませんが、CMでよく流れるドリンク剤(2023年12月現在 1本2,000円弱)と比較していただくと、御種人参、海馬など高価な生薬をふくむ本商品のリーズナブルさが分かります。

このような方にお勧め

・日々忙しい方に

・元気の出ない方に

・若々しく頑張りたい方に

・寒さが苦手な方に

・乾燥が気になる方に

・抗がん剤や放射線療法で胃腸粘膜の萎縮が生じた方の補助食品として

・長期間の抗生剤服用後、腸内細菌の改善を目的とした補助食品として

・膣内細菌と腸内細菌は密接な関連があり、妊活の補助食品として

海玉膏の味は、クコの実やハチミツの甘味、それにミカンの皮を含むためか柑橘系の香り、シナモンなどの風味をすこし感じます。流動性のエキスで、やわらかい水飴をイメージしていただくと分かりやすいかもしれないです。海玉膏は発酵食品ですが、決してお酢のような酸味や強いくさみは感じません。

クリニックに無料サンプルがあります。開院日時に直接来院される方へのサンプルですが、気軽にお声がけください。「海玉膏」の販売は全国、どこでも対面のみで許可されています。(もし海玉膏が通販で売られていれば、怪しいルートです。だまされぬよう、お気をつけ下さい)

(注)ハチミツ配合ゆえ念のため、当クリニックでは1歳以上の方に販売しています。

海玉膏の特徴

・日本国産(新潟県)の発酵食品(※1)

・原料は 8つの生薬(※2) と 3つの善玉菌(※3) と ハチミツ

・1包ずつスティック状のため、摂るのが簡単。旅行や外出に携帯しやすい

・生薬大手会社(※4)と発酵に特化した会社(※5)とのコラボ商品

・調製加工まで一貫した体制のもとで、品質管理がされている

発酵とは「微生物の働きによって植物が変化し、人間にとって有益に作用すること」です。

(※1)発酵食品の一般的な特徴

① 低分子化することで消化吸収が良くなる

② 発酵菌に整腸・免疫作用がある(主に乳酸菌。海玉膏の原料のひとつ)

③ 新たな機能性成分が増える(ex. 納豆は大豆にないナットウキナーゼを生成、酢は米にない酢酸やクエン酸を生成するなど、原料にはない機能性成分を新たに生み出す)

④ 発酵により抗酸化力が高まる(加齢を促進するタバコなどと真逆の効果)

⑤ 発酵により酵素(人間をふくめた全ての生き物が生きていく上で必要な消化、吸収、代謝などの化学反応を促進する物質)を多くふくむ食品となる。納豆、ヨーグルト、甘酒、味噌などが独特な香り、まろやかな味になるのは、この酵素の多様性、量の多さによることが大きい。

(※2)8つの生薬を原料とする「海玉膏」

① 御種人参(薬用人参の根。徳川幕府が栽培を奨励し、農地へ配った種の人参を「御種」人参と呼ぶ)

② 枸杞子(クコの実)

③ 桂皮(シナモン、シナニッケイの樹皮)

④ 陳皮(みかんの皮)

⑤ 熟黄精(鳴子百合ナルコユリの根茎)

⑥ 女貞子(トウネズミモチの果実)

⑦ 肉従蓉(ニクジュヨウの肉質茎)

⑧ 海馬(タツノオトシゴ)

(※3)3つの善玉菌を含む「海玉膏」

① 乳酸菌

② 酵母菌

③ 麹菌

酵素ドリンクなどは殺菌処理が必要ですが、本商品「海玉膏」は殺菌が不要。非加熱のため善玉菌を殺すことなく保持され生成されます。

(※4)株式会社ウチダ和漢薬  1947年創業

(※5)株式会社越後薬草 1976年創業 

近年の健康ブームに便乗した歴史の浅い会社は多々ありますが、本商品は長年、生薬や発酵に力を入れてきた信用のおける会社が開発しました。

酵素の消費を抑える、もしくは補充することで腸内環境が整い(消化酵素の働きの一部)、また元気が回復する(代謝酵素の働きの一部)ことは、たとえば消化吸収に役立つ納豆・ヨーグルトや、クエン酸をふくむ酢・レモン等を食べるアスリートなどを考えると、お分かりいただけると思います。

(参考)栄養成分表示  1包(10g)あたり

熱量      33kcal

たんぱく質         0.08g

脂質      0g

炭水化物             8g

食塩相当量         0.01g

3つの善玉菌(乳酸菌・酵母菌・麹菌)を使用

「発酵のまち」新潟県上越市で、気温が低く湿度が高い、発酵に適した空気をとりこみながら、本商品は生産されています。陶製の瓶(かめ)の中で発酵させるため、瓶の中で自然対流が起きます。動画中、機械で混ぜているように見える瓶内の液体は、本商品の生薬がもつ発酵力が強いための自然現象です。この陶製の瓶は砂でできていて、通気性や遠赤外線効果により、コクと風味を醸し出します。また自然対流が生じることにより、瓶の中で好気性菌、嫌気性菌をバランスよく増やすことができます。最近の研究では、菌の多様性(菌の種類が豊富なこと)が良い腸内細菌叢の特徴と知られてきており、理にかなった自然発酵の手法と思われます。新潟県で醸造される日本酒や、低温多湿の冬風にさらされて熟成される塩引鮭(村上市)をイメージしてもらうと、本商品の産地への理解が深まるかもしれません。

マンガ風にさらっとおさらい

(日曜18時30分からの国民的番組、風味の音楽でじわじわきます)

【以上、転載禁止】

みちとせクリニック院長

堀田広満

お屠蘇(おとそ、屠蘇散)を対面販売しています。
「正月にお屠蘇を飲んできたのに、最近なぜか飲んでないな」という方も多いのではないでしょうか。

屠蘇散 税込価格 200円/袋
(対面販売のみ)

お屠蘇は、漢方生薬でつくられています。
桂皮(シナモン)、陳皮(温州みかんの皮)、山椒(さんしょう)などの生薬で、あの独特の風味が生み出されるんですね。抽出の効率をあげるため、実際の商品内生薬は写真より細かく刻んでいます。

もとは中国から日本に伝来し、平安時代には宮家の正月に縁起物として服されるようになりました。

後漢時代、華佗(かだ)という中国の医師が考案したと伝わります。屠蘇に関する記録は、孫思邈(そん しばく)が記した『千金方』(せんきんほう、650年代)という医書の「歳旦屠蘇酒」が、現時点で一番ふるいものと思われます。屠蘇は少なく見積もっても、1,370年強つづいてきた風習ということです。

浮世に移りゆくものが多いと実感する昨今ですが、ここはゆるりと、不動のものを。
一年の終わりにまずは心を静め、屠蘇散を日本酒などに一晩浸し、新年の初めにこの風味をお愉みください。

お求めやすい価格にしています。
南青山のご近所の方も、また「たまには表参道で」と遊びがてらに来られる方も、遠慮なくどうぞ。

おかげさまで みちとせクリニック 開院から3周年となります。
日頃の感謝をこめまして、数に限りがございますが、
漢方でご受診いただいた患者さん、
先着12名様に 自動煎じ器 を無料でプレゼントいたします。

煎じ器の詳細は以下になります。
株式会社ウチダ和漢薬【煎治 LITE】

ご希望の方はご来院の際、お声がけください。

なお当院は完全予約制となっております。
よろしくお願いします。

みちとせクリニック

院長 堀田広満

当院の院長、堀田が記事を書いています。わたしに多大な影響を与えた坂本龍一「教授」が他界されて1ヶ月強、教授の音楽を聴いてきました。自分なりに追悼したくPCに向かっています。

私の母方ルーツが、2人の国会議員を出した高知県瓶岩村(現、南国市)の坂本家(坂本素魯哉坂本志魯雄)であり、「将来、高知県の山奥、できれば海の見えるところに住みたい」と語っていた母方同姓の教授にシンパシーを感じます。

私が高校2年の1986年5月12日。鈴木くんと行った坂本龍一コンサート “Media Bahn Live“ に感動したふたりは帰り道に「よし! 文化祭でYMOのコピーバンドをやろう!」と意気投合しました。同秋、同級生3人でステージに立ったのは以前、高橋幸宏さん追悼記事で書いたとおりです。その後、医学部入学の際、自己紹介で「坂本龍一、新人では高野寛がよろし」と音楽鑑賞の趣味を同級生へ明かしたのでした(みちとせクリニックInstagram (2021年12月21日)参照)。

ピアノとKeyboard, PC の Key を用い、繊細な指先で magic の鍵穴を開けてきた坂本龍一教授。その姿は primitive(原初的、根源的)なルーツ(根)を求める求道者のようでもありました。教授の東洋、西洋に対する哲学は、骨髄移植など血液・悪性腫瘍を専門としながらも2000年に日本東洋医学会に入会した私の考えと似ている、と個人的に感じてきました。

デジタルとアナログ。
指先(digit)を動かすデジタル(digital)な作業。

でも、やってることはアナログ。

上記内容は、2010年4月17日、新宿の紀伊國屋サザンシアターで開かれた、小沼純一さんとの公開講座 “Commmons: schola 音楽の学校”で教授が話されたことです。この時、控えめにうなずいて反応していた私に「おっ! 分かってんじゃん(笑)」と、ニヤッと笑って私を教授が何度か見つめてくれたことは、記憶の宝物として sealed しています。

「血液はプレパラート、顕微鏡があれば、primitive な診断が可能です」。医学部5年のとき、臨床講義で柴田昭という内科教授が教えてくれました。時代は顕微鏡からさらに downwardへ(DNA、量子へ)向かいましたが、結局のところ「upwardへ(蛋白質へ)戻り始める」と2000年前後から言われ始めました。

ここで詳細は語りませんが、2002年に田中耕一さんが蛋白質の研究でノーベル化学賞を受賞した際、東洋医学が必要になることを確信しましたし、今もその気持ちは揺らぎません。Back to the roots. 金のかかる医療に耐えられるほど、この地球に余力はありません。根源、根っこ(生薬、蛋白)に戻っていきます。

さて唐突ですが、教授は白居易(あだなが楽天、通称は白楽天)のような方だったと私は思います。アカデミックでありつつ、民衆を愚弄する体制から距離をおいた結果、左遷されたけれども有能ゆえに結局、権力をもった人。白楽天に「右寄りなのか? 左寄りなのか?」と問うても「さあて…どっちでもないな」と答える気がします。

2022年11月25日の日本経済新聞の記事「とことん自分を愛す」で、白楽天を「71歳まで勤め続けた超高齢官僚」と評していましたが、おなじ71歳で他界した教授もアルバム『12』、ある学校の校歌作曲、病床からの東北ユースオーケストラへ向けた応援コメントなど、癌の末期でも精力的な方でした。RadioSakamoto最終回(2023年3月5日)での盟友、高橋幸宏さんへ向けた教授コメントも、死を前にした人とは思えないユーモアに満ちたものでした。

この期間、ずっとジョギングを続けているような倦怠感(悪液質)があったはずです。そんな中、昨年末のオンラインコンサートで聴衆に向けて教授が笑顔で語った “Let’s enjoy!” は、今でもスゴイなぁと感嘆します。

教授は自由な方でした。白楽天と同様、自然を愛で、楽器を奏し詠い、女性を愛し、最後は水墨画のような世界観をつくっていきました。先に述べたオンラインコンサートはモノクロ画面でした。またアルバム『12』も禅的でした。最後のアルバムを「一筆書き」と酷評する人もいますが、陰陽の世界が分からないんだろうなぁ。もったいない。

独り善し(独善)を大切にした白楽天。
独立、自由を追い求めた教授。

それは「我がまま」ではなく「他助」「公助」をふくめた自由。彼の所属した YMO(Yellow Magic Orchestra)の曲「以心電信」に “You’ve got to help yourself” の歌詞の後、”Then you’ll help someone else”と続きますが、先ず自分が自分自身を愛し受け入れていなければ他人を愛するなんて無理だよね、という自助あっての他助。

聖書の中にも「自分を愛するように隣人を愛しなさい」とありますが、教授はそれができた人だと思います。教授にキリスト教の信仰は無かったはずですが、彼がピアノを学ぶきっかけを作った世田谷幼児生活団の設立者、もと子はクリスチャンでした。彼女のつくった自由学園。その特集本に教授は「すべてはここから始まった!」とも著しています。『音楽は自由にする』という、教授の著書もあります。

また教授の父方の祖先が隠れキリシタン(※)で、ノブレス・オブリージュなど西洋的な思想を、あっさり自分のものにしているのも幼児期からの教育ゆえ、と思います(ノブレス・オブリージュが重要である旨、教授自身が肉声で語った過去放送が、2023年5月5日の追悼番組、ラジオJ-WAVEの9時間放送で再紹介されました)。

(※)坂本龍一「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」第6回(『新潮』2022年12月号)

自由を求めた人。
情念ではなく情感を求めた人。

教授がつくった”Energy Flow” が流行した頃、メディアがもてはやした「癒し」「癒される」という言葉を嫌った人でもありました。たぶん依存、共依存を徹底的に排除してきた人生だったから、でしょう。それは嫌いな作曲家としてドヴォルザークなど具体的な名前を列挙し、ロマンティックな世界観を遠ざけたこととも通底しています。きっと。

とはいえ、実はとてもロマンティックな人。おちゃめな人。それを隠すためふざけちゃう人。少年のように。

ソロでは見せませんが、別の人とコラボすると「…しょうがないなぁ(笑)」とか笑いをこらえながら、ふざけたりロマン情緒を醸し出した教授。演じている振りをしつつ。自分はそう思います。

“Energy Flow”をカバーした「エナジー風呂」。

おもちゃピアノで遊んでいる教授。アホアホマンとかも、最高です。白楽天、老子荘子(胡蝶の夢、の人ですね)の世界観。

一方、ロマンの究極は、こんな曲に表れていると思います。
“A Flower Is Not A Flower”

この曲は、二胡奏者の Kenny Wen が教授に依頼して作られました。その際、イメージとして白楽天の漢詩「花非花」を教授に伝えたそうです。

花非花 霧非霧
夜半来 天明去
来如春夢幾多時
去似朝雲無覓処

花にして花にあらず
霧にして霧にあらず
夜半に来たりて 天明に去る
来たること春夢のごとく 幾多の時ぞ
去ること朝雲に似て もとむる処なし

(いんちょう超意訳)
わけありの恋人が、人目をはばかり夜にやってきて、やっと会えた。が、朝日が昇る前には目の前から消えていく。あの花は、あの霧は、どこへ消えてしまったのか? 春の夢のようにわたしの腕の中にあった芳しい香り、幽玄な色、ぬくもり。パルファム、ミストのように消えてしまうのか。何度でも。ああ、消えてしまった。引き留めたいのに、止められない。朝の雲のように流れ去っていくのを。

大貫妙子さんがつけた詞がシンプルで流石です。

夜露に濡れ その葉をたたむ
幼い頃の 姿で眠る
花は目覚め 月を仰ぐ
名はネムノキ 夏の夜の
(後略)

以前から大貫妙子さんの曲「新しいシャツ」を聴くと、なんともいえない切なさを感じてきましたが、前述の「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」連載を読むまで、その曲が生まれた背景を知りませんでした。あえて詳細は書きませんが、上述の花非花、をなぞっています。大貫妙子・坂本龍一のアルバム『UTAU』中、”FLOWER” と名前を変えた同曲を大貫さんが歌っています。

教授は女性にモテました(YMO時代の本 “OMIYAGE” にも明治神宮で若い女性たちに追われる教授の姿が、写真に残っています)。不思議なのは教授と別れた女性たちが、その後も教授と良い関係を続けているケースが多いことです。

斎藤孝さんの著書『最強の世渡り指南書』中、井原西鶴『好色一代男』のモテ男について触れられていますが、なぜモテたか。別れた後も、その女性がずっと幸せであるように願い行動したから。そんなことが書いてありました。約10年前、読んだ本なのでうろ覚えですが。

エロス、フィレオー、アガペー。
愛にはいろんな形がありますが、フィレオー(兄弟愛、親類愛)に近い持続する愛をもっていた方だと思います。教授。

「だから」の愛ではない。「だけど」の愛。
「だけど」愛された教授。
「だけど」愛した教授。

依存、共依存と距離をとる教授が嫌いな最近の言葉は、これらだったと思います。たぶん。

「泣ける」「涙で前が見えない」

人前では簡単に泣かない人だし、泣かせない人だったと思います。

前述の「新しいシャツ」の歌詞にも、それがうかがえる気がします。

さよならの時に穏やかでいられる
そんな私が嫌い
涙も 見せない
嘘つきな 芝居をして

すでに旅立ってしまった教授とのお別れに、私も「穏やかでいられる」はずもないのですが、こればかりは仕様がありません。そろそろお別れの文を書きます。

教授が音楽を担当した映画 “THE SHELTERING SKY” 中、こんなセリフがあります。
「touristは元の場所へ戻れるけど、travelerは戻らない」

人生は旅。
Tour ではなく Travel

この世の人生では、観光を嫌ったことで有名な教授。死に直面しても travel を貫いた気がします。やや前のめり気味に。

「天に上るような仕事をしてほしいから『龍一』と名付けた」と父の坂本一亀さんが生前、語っていたそうです。名は体を表す、と言いますが本当にそう。その名前のせいなのか、お父さんも亀さんのせいか、五行でいえば、教授は「水」の人だったと私は感じています。しかも水滴ではなく「大海」。

花非花には「霧」とありますが、愛する娘の美雨さんをおもい作った “AQUA” も水。アルバム『Out of noise』には、厳寒地の氷山にてサンプリングされた曲もあります。映画『CODA』では雨の中、バケツを頭にかぶった教授が雨音を愉しむ姿が映っています。氷、水、霧。変幻自在なWorld citizen(世界市民). 

2017年のアルバム『async』には、映画『惑星ソラリス』を思わせる “solari”という曲がありますが、古城が水に取り囲まれながら徐々に崩れていく様をイメージしました。そもそも、この映画は水の音が多く流れてきます。

大きな龍のように立ちそびえた教授が、人体という器には収まりきらず、徐々に病に浸食されていくようで同曲を聞き返すのがつらかったのですが、大傑作、歴史に残る名作です。音楽室の巨匠たちの写真群に、教授の写真も並ぶことでしょう。いや、教授がそれを望まないか…

先月、出たばかりの村上春樹さんの新作『街とその不確かな壁』には、こんな文章があります。

「夢はきみにとっては、現実世界で実際に起こる事象と同じレベルにあり、簡単に忘れられたり消えてなくなったりするものではなかった。夢は多くのことを伝えてくれる、貴重な心の水源のようなものだった」

読後、私は「きみ」に教授を想いました。そして教授がみた夢は、簡単に忘れられたり消えてなくなったりするものではない。

“A Flower Is Not A Flower”

夢と現実、月と太陽、彼岸と此岸。

究極的には時間は溶けて「いま」しかない。

「でももうそこにはいなくなって

彼は花のように姿を現します

Coming up like a Flower」

YMO “Nice Age”

芸術は永遠

江戸期には日本も採用していた太陰暦を、イスラエルは今でも採用していますが現地では「月が昇ってきた。新しい日を迎えたね。だから休もう」と一日を寝ることから始めるそうです。起きるのではなく、眠る。

昨夜、こんなことを考えながら満月を観ていました。

「教授、こちらは、もうすぐ新しい日を迎えそうです。だから休みますね。教授もゆっくり休んでください。ではまた。ありがとう教授」

Ryuichi Sakamoto
Requiescat In Pace

#19860512

#坂本龍一

#RyuichiSakamoto

みちとせクリニック
堀田広満

みちとせクリニック堀田広満『勿誤薬室方函口訣に引用された療治経験筆記』。

当院の院長、堀田が書いた論文が先月、『漢方の臨床』(2023年、第70巻・第4号)に載りました。

煎じる刻み生薬を扱う医療者で『漢方の臨床』を知らなければ、その人はモグリです。興味があったら近くの漢方薬局や漢方医に聞いてみてください。ちなみに本雑誌を刊行する東亜医学協会は、昭和13年(1938)に大塚敬節矢数道明らが中心となり創立されました。今年で85周年。

ちなみに大塚・矢数の御両名は、堀田が8年間奉職した北里大学東洋医学総合研究所の初代・二代目の所長を務められた東洋医学界の大御所です。おふたりの名前を知らない漢方医がいたら、その人もモグリ(笑)

論文名は『勿誤薬室方函口訣に引用された療治経験筆記』
…そもそも、どう読むの?…と言われそう(笑)

ふつごやくしつほうかんくけつ に引用された りょうじけいけんひっき

さて、この論文。2冊の医書を比較検討したものです。前者『勿誤薬室方函口訣』(1878年刊)は浅田宗伯、後者『療治経験筆記』(1795年成)は津田玄仙の著作です。

両書に共通するのは口訣(くけつ)です。口訣とは、ある処方の用い方のコツを、師が弟子に伝える口伝のこと。その一部が医書となり後世に伝えられました。これは日本独特の文化的な結実で、他国にあまり類をみません。当院を受診される患者さんの診療にも、これらの口訣を活かしています。

この口訣をあつかった小説『本売る日々』が2か月前(2023年3月)、出版されました。同書は2つの賞(中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞)を受けています。日本経済新聞の夕刊で紹介されており、すぐ購入しました。口訣が過去の産物ではなく、現代にも息づいていることが分かり、興味深かったので近日、記事にします。

60歳で時代小説家デビュー、67歳で直木賞を受賞した青山文平 氏が、この本を著わされました。

今年のグラミー賞授賞式で、写真が大きく映され “Musician, Singer, Record Producer. YELLOW MAGIC ORCHESTRA” 表記で追悼された高橋幸宏さん。グラミー賞史上、日本人アーティストが追悼されたことは多くないはずです。Duran Duranなど世界中から追悼があり「棺を蓋いて事定まる」国宝級のヒーローを誇りに思います。

先月、幸宏さんが他界されたことを知り、1人のファンとしてしばらく呆然としました。クリニックのブログに個人的なことを書くのは不適切、と思われる過敏、繊細な方は後日、YELLOW MAGIC ORCHESTRA(YMO)御三方のことを陰陽五行とからめて、つまり東洋哲学的に考察した記事を書くのでゆるして下さいな。

高校2年生の文化祭。わたしは同級生2人とYMOのコピーバンドでステージに立っていました。Bassのスズキ マコト君、Keyboardの私、そして嘘のような名前ですが Drumsはタカハシ ヒロシ君(笑)

コンピューターとシンセサイザーをMIDIで連動させて、コンピューターリズムのクリック音はドラムにだけ流し、他の2人はクリック音ではなくタカハシヒロシ君の放つビートにあわせて…当時、おこずかいも微々たるもので、自分のシンセサイザーが無い私は自宅のピアノでイメトレ(笑)

先輩、同級生のシンセサイザーを借りて、ほぼぶっつけ本番でしたが、我ながらよくやったと思います。幸宏さんがつくった RYDEEN も演りました。この時、先輩に乞われ、掛けもちした別バンドでは高中正義、カシオペアのフュージョン曲も演奏したので、本当に死にものぐるいでした。受験勉強と並行した当時は「もう、やりたくない」と思いましたが、もし今タイムマシーンにのれるなら間違いなく、あのステージに戻ります。楽しかったなぁ。

体育会系の部活、バンド、受験勉強。地方の公立高校。医学部に現役で受かるはずはありませんな。1年間、浪人し医学部に合格しました。が、その浪人中、わたしが医師になるきっかけを作ってくれた友が他界しました。もう何もする気が起きなくなり。その時、救いになったのが高橋幸宏さんのラジオ番組。FM横浜だったかな。Four Roses サウンドバー。

お酒のメーカーがスポンサーだったせいか、オールナイトニッポンのような、はっちゃけた幸宏さんではなく大人な幸宏さんで。ゴダールクロード・ルルーシュフランシス・レイ小津安二郎笠智衆などのキーワードをさらっと語りかけるのでした。デビュー前の高野寛さんを知りファンになったのも、この番組がきっかけでした。

ある日、幸宏さんのアルバム『EGO』の曲「左岸(LEFT BANK)」がラジオから流れてきました。

恐竜の時代から 変わってないことは
太陽と空と生と死が 在ること
過ぎてしまうこと

向こう岸は 昔 住んでいた所
左岸を 海に向かって
ぼくは歩く
君を愛しながら

泣けました。簡単には泣かない男ですが若かりし院長、泣きました。そして励まされたのです。あれから奮起しました。受験勉強。書道が得意な家人に「背水の陣」と書いてもらった紙を机の前に貼って(笑) 自分が医者をしているのも、幸宏さんの寄り添うような歌声のおかげかもしれません。

大人になり少しずつ分かってきました。この曲には double, triple meaning が暗号として隠されていることを。作詞は鈴木慶一さんであることをお断りしつつ。

死生観をうたっていることは間違いない。つまり、こちらの岸、あちらの岸(彼岸)を詠っているのでしょう。

そして、たぶん LEFT は「左」でもあり尚且つ、leaveの完了形 left、こちらとあちらに「遺されて」「残されて」しまったことも表していると思います。

さらにフランス、パリ市内を流れるセーヌ河も意識しているかもしれません。セーヌの右岸は凱旋門へ向かってブティックが並ぶシャンゼリーゼ通りが見えます。が、対する左岸は哲学者サルトルらが眠るモンパルナス墓地や、カタコンブ・ドゥ・パリが観えます。右岸は現世的であり、左岸はheavenly, はらいそ的なんです。

1stソロアルバム『Saravah!』など彼の作品群からわかるように、フランスに精通していた幸宏さんは「左岸」を歌うとき、セーヌ川の左岸も意識していたと思います。そして私は思うのです。幸宏さんの人生はパリの紋章に描かれている船、そして文言に似ている、と。

「たゆたえども沈まず」(Fluctuat nec mergitur)

うたかた、うつしみ。泡沫、現し身。いずれ移し身。

って、とこかな。
右岸から左岸への移し身。

高橋幸宏さん自著『犬の生活』には、こう書かれています。
20歳になってまもなく、母が亡くなった。ひ弱だった僕にとって、このときのショックは計り知れず、大きく、救いがたいものだった。ほどなくして、極度の不安神経症が僕を襲った。すでにサディスティック・ミカ・バンドに在籍していた僕だったが、具体的な症状もなしに倒れ、コンサートをキャンセルしたこともあり、一時は脱退を考えたりもした。(引用終)

それから2年後(22歳時)、リリースされたサディスティック・ミカ・バンド2nd アルバム『黒船』の1曲目「墨絵の国へ」。2分あたり曲調が変わり「しんきろう めざし 船は進む 幻の国へ たどりつくため」と幸宏さんの語りが始まるのですが、当時の精神状態、不安感が声に反映されているように感じます。船出の魅力的な曲ですが、痛々しいのです。でもそれが新たな船出の不安感を醸し出しているようで、リーダー”トノバン”加藤和彦さんのセンスを感じます。

成人前の幸宏さん。父上が経営されていた会社でクーデターが起き、ほどなくして母上が他界され、御家族にかかったストレスは想像できないほど多大なものだったでしょう。

わたしも昨年、父を亡くしました。父と親しくしていただいた小坂忠さんも昨年天国に帰り。幸宏さんまで。ワインの澱が沈むように、気持ちが整理つくまで待ち今日、文をつづりました。YMOの細野晴臣さんふうに言えば、冬越えさ、季節の変わり目さ、くしゃみをひとつ。幸宏さんのアルバム風にいえば『ボク、大丈夫』

10年前、山本耀司さんとの対談中「人生の最後に聴きたい歌は何ですか」の質問(耀司さんからの質問ではない)に、幸宏さんは「本当は音楽なんて最期、死ぬときに聴きたくない」と断りつつプロコル・ハルムの”Pilgrims Progress”(巡礼者の道)を挙げていました。聴けば分かるでしょう。長い航海を終えて、船の中ひとり座り、最後に日誌を書いている男の物語。

幸宏さんは35歳のとき、この曲をカバーしています。先の鈴木慶一さんとのユニット、BEATNIKSのアルバム『EXITENTIALIST A GO GO ビートで行こう』。わたしが高校3年の時、受験勉強しながらよく聞いていました。当時はこの曲の良さが分かりませんでしたが、今は胸に沁みます。70歳で他界した幸宏さん。人生の折り返し地点、35歳の時にはメメント・モリ(死を想え)の境地に達していたのでしょう。

幸宏さんと親しい、景山民夫さん、”トノバン”加藤和彦さん、小坂忠さんらが他界されるたび、私は「大丈夫かな?幸宏さん。変な気を起こさなければいいが」と心配しました。そういう弱そうに見えるところが魅力でもありました。

雄々しく人生の旅路を終えた高橋幸宏さん。しかし、たぶん航海中は「勘弁してよぉww(笑)」とかなんとか言いながら飄々と、淡々と。よく頑張って生き抜いてくれた、と感謝です。

幸宏さんが大きく手を振っている気がします。しかし私の両手はポケットの中に入れたままで。あなたが教えてくれた美学です。

片道切符をもってしまった幸宏さんを送り出す曲は、高橋幸宏「SAYONARA」でも良いのですが、似た曲で。幸宏さんが通った立教高等学校の後輩、佐野元春さんの曲「グッドバイからはじめよう」から。元春さん、すみません。勝手に。ゆるしてください。しかしこれ以上、ぴったりの言葉がみつかりません。

ちょうど波のようにさよならが来ました
言葉はもう 何もいらない ただ見送るだけ
遠く離れる者 ここに残る者
僕が決めてもかまわないなら 何も言わないけれど
どうしてあなたは そんなに 手を振るのだろう
僕の手はポケットの中なのに

わたしは右岸をしばらく たゆたいます
左岸をチラチラ観ながら

ありがとうユキヒロ
ゆっくり休んでください
高橋幸宏よ 永遠なれ

みちとせクリニック

院長 堀田広満

「2023年に入れば安定供給されるようになるかな」と楽観してましたが、漢方の粉薬(エキス剤と呼ばれます)がまだまだ品薄のようです。原因は、漢方が新型コロナウイルス感染症の急性期および慢性期治療に必要とされているから、です。需要があるんですよ。新時代の漢方。

2021年には、全身倦怠感などの新型コロナウイルス感染症の後遺症に補中益気湯が効く、など騒がれ始めていましたが「知る人ぞ知る」ニュースでした。しかし昨年2022年8月には、ついに某社の漢方製剤群が安定供給できないほどとなり、28品目の漢方エキス剤が「生産調整」「限定出荷」となりました。

それがB社、C社…と飛び火したようで、日本国内で漢方エキス製剤をとりあつかう企業が影響を受けています。A社はまだ23品目を出荷できていない(5か月経過した昨年末時点)、とのこと。

さて…当クリニック、みちとせはどうか、というと、生薬そのものを煎じる自由診療なので影響はほぼありません。そもそも漢方のエキス製剤の主な需要は保険診療にあり、保険で十分効果が出るのであれば、それも結構なことです。ただし安定供給は大前提。

たとえてみれば、インスタントコーヒーの在庫がなくなって慌てたお客さんが店員さんに「今度いつ納入されるんですか?」と問い合わせたところで、「とにかく入ると得意先にすぐ売れて、まだ分からないんです!」と現場も状況を把握できていない、というところでしょう。

お客さん。インスタントコーヒーに限らず、コーヒー豆そのものを取り寄せてドリップコーヒーにすれば良いだけの話、かもしれませんぜ。即席では提供できない、アロマの芳醇な香り、濃厚な風味があなたを満たします。

私が危惧しているのは、新型コロナウイルスなど一過性のことではなく、今後かならず起きてくる漢方エキス製剤の価格破壊。インスタントコーヒーにたとえたエキス製剤は、現状の保険診療のままだと(保険の薬価改定などで)値崩れを起こしてきます。中国など他国でも生薬の価値が上がってきており、原価は上昇。一方の保険診療下での売値は、値下がり。となれば、どこかで逆ザヤになってきます。売れば売るだけ企業の赤字に。対策としては生薬の質を落とす、生産農家の人件費を減らす…あまり考えたくないですね。

「保険診療から漢方がなくなるはずが無い」と楽観視する人も多いですが、団塊の世代が団塊でなくなる時代の少し前に、保険診療からの漢方はずしが起きるのでは?と私は考えています。それが私が自由診療に舵をきった理由のひとつです。いや、もっとポジティブに、いにしえから伝わる元々の漢方をお出ししたい、だけなのですが。

いま起きている漢方エキス不足、その混乱は、これからちょっと先の時代の予行演習かもしれません。
あなたもどうですか? ドリップコーヒー。良質な豆をとりそろえるように、適正な生薬が入ってきているか、目を光らせつつ日々、生薬を患者さんにご提供しています。

違いの分かる人には分かる、煎じ生薬。自信をもってお勧めします。

【以上、転載禁止】

2023年1月12日

みちとせクリニック院長

堀田広満

ちょうど11年前、今日と同じ金曜日、11月4日。
私は、港区白金の北里研究所病院のある人の前で、生前の姿に思いをはせていました。

そして約束しました。

「私は刻み生薬で人々を癒していきます。一生」

村主明彦 医師
北里大学東洋医学総合研究所で3年弱、お世話になった先輩です。2011年11月3日に亡くなる2週間前まで、自分が入院する身でありながら、同研究所で漢方の外来診療をつづけた姿を今もおぼえています。

「どう? 研修たのしい?」
「この饅頭おいしいねぇ!(モグモグモグ)」
「電話番とか、谷口さんにこき使われてない?」(すぐさま後ろから「んもぉ~村主先生たらぁ~」とかわいい声)
「今度いくオペラ公演、楽しみなんだよねぇ」

わたしが北里大学東洋医学総合研究所で研修中、いちばん話しかけてくれた上司です。2009年3月まで研修医を指導する立場であった私。西洋医学はやり残したことはない、と一区切りをつけ翌月、約15年ぶりに「なつかしい」研修医にもどり、東洋医学の研修を同研究所で開始したとき、人懐っこい村主先生は最初のオーベン(指導医)であり、いろいろ気にかけてくれました。

同時期、先生は「回想 漢方医駆け出しの頃」(北里大学東洋医学総合研究所の機関紙『漢方と鍼』133号)に、私のことを見てこんなことを書かれています。

「新年度を迎えるにあたり、新たに研鑽を目的に集う医師に、フレッシュマンであった自分を重ね合わせ雑感を述べてみた」

東洋医学、西洋医学に限らず、研修医には読んでもらいたい内容です。音楽好きには分かるかも。ジョー・ストラマーの名言 ”Punk is attitude, not style” を借りれば「医療はスタイルではない、姿勢だ」ってこと、なんだと思います。

1年目の新米研修医は当時、医局秘書さんがいない時の電話番や来客の対応などもこなしていました(こういうことを通して東洋医学の大御所にも名前をおぼえてもらえるので、私個人は雑用と感じませんが最近の研修医はそう感じるようですね)。

村主先生が他界された2週間後、わたしは日本東洋医学会の専門医試験会場で面接試験を受けていました。2人の試験官から厳しい質問が浴びせられる中、清熱補気湯という処方が著効した患者さんのレポートに目を通した面接官から一言。

「村主先生はこの清熱補気湯がお好きで、よく処方されてましたねぇ。今回は本当に残念なことでした…」と私に声をかけていただきました(たしか杵淵彰先生だった、と記憶しています)。試験中ながら不思議とおだやかな時間がその場に流れたのでした。

あの約束があったから、いろいろな困難を乗り越えてここまでやってきた、と感謝です。もっと振り返ると、私が医者をめざすきっかけをくれた友も医学部受験の浪人中、10月末に天国へかえりました。長く生きていると、あいつの分も、あの先輩の分も、できれば生きてやりたいという思いが増えていきます。笑顔で日々、診療に。1日1日を大切に。結果として長く、多くの患者さんをいやせるように。

村主先生は私が忘年会や医局旅行でくりだす芸を、たいそう喜んでくれました。ご自分の余命を知っていたであろう時期、2011年3月初頭におこなわれた医局旅行で、私が芸でつかった金髪ウィッグを「僕も」と頭にかぶって写真にうつる村主先生は thumbs up して満面の笑みでした。

悲しい思いは消えていき、楽しい思い出が残っていく。不思議なものです。
一生、刻み生薬に関わりつづけるのは、なかなか困難が伴いますが、約束したんで大丈夫。口コミで少しずつ患者さんが増えているのも感謝です。
わたしの運が良いのも、出会ってきた先人たちの思いもあるから。そう信じています。

みちとせクリニック

院長 堀田広満

日本東洋医学会の学術総会が本日5月27日~29日まで開催中です。

今回が第72回。歴史ある学会。院長の私も演題が採択され、一般演題を発表しています。

カテゴリーは医学史。聞き慣れないことばですね。漢文など古典書物などから、その当時の医術を読み解いたり、現代医療との比較検討をおこなったりします。「なんちゃって漢方医」とか「なんとか王子」とか、つくしのように乱立してますが、古典を読まずにどこを自分の診療の拠り所にしているのか、いささか心配になります(笑)

『勿誤薬室方函口訣』に引用された『療治経験筆記』

ことしのテーマはこれにしました。「浅田飴」で知られる、浅田宗伯があらわした『勿誤薬室方函口訣』(ふつごやくしつほうかんくけつ)は、保険診療で用いられる漢方エキス処方の原典としてもかなりのウェイトを占めています。

さて、その『勿誤薬室方函口訣』のルーツはどこにあるのでしょうか?

それに関する指定講演を北里大学東洋医学総合研究所で命じられたのが、2016年の漢方治療研究会で、私の演題名は『勿誤薬室方函口訣』の出典調査から、でした。このポスター、実は私がつくりました!

向かって右の人物が、浅田宗伯先生です。