3月21日(火)午後および3月22日(水)の外来を休診します。
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願い申し上げます。
今年のグラミー賞授賞式で、写真が大きく映され “Musician, Singer, Record Producer. YELLOW MAGIC ORCHESTRA” 表記で追悼された高橋幸宏さん。グラミー賞史上、日本人アーティストが追悼されたことは多くないはずです。Duran Duranなど世界中から追悼があり「棺を蓋いて事定まる」国宝級のヒーローを誇りに思います。
先月、幸宏さんが他界されたことを知り、1人のファンとしてしばらく呆然としました。クリニックのブログに個人的なことを書くのは不適切、と思われる過敏、繊細な方は後日、YELLOW MAGIC ORCHESTRA(YMO)御三方のことを陰陽五行とからめて、つまり東洋哲学的に考察した記事を書くのでゆるして下さいな。
高校2年生の文化祭。わたしは同級生2人とYMOのコピーバンドでステージに立っていました。Bassのスズキ マコト君、Keyboardの私、そして嘘のような名前ですが Drumsはタカハシ ヒロシ君(笑)
コンピューターとシンセサイザーをMIDIで連動させて、コンピューターリズムのクリック音はドラムにだけ流し、他の2人はクリック音ではなくタカハシヒロシ君の放つビートにあわせて…当時、おこずかいも微々たるもので、自分のシンセサイザーが無い私は自宅のピアノでイメトレ(笑)
先輩、同級生のシンセサイザーを借りて、ほぼぶっつけ本番でしたが、我ながらよくやったと思います。幸宏さんがつくった RYDEEN も演りました。この時、先輩に乞われ、掛けもちした別バンドでは高中正義、カシオペアのフュージョン曲も演奏したので、本当に死にものぐるいでした。受験勉強と並行した当時は「もう、やりたくない」と思いましたが、もし今タイムマシーンにのれるなら間違いなく、あのステージに戻ります。楽しかったなぁ。
体育会系の部活、バンド、受験勉強。地方の公立高校。医学部に現役で受かるはずはありませんな。1年間、浪人し医学部に合格しました。が、その浪人中、わたしが医師になるきっかけを作ってくれた友が他界しました。もう何もする気が起きなくなり。その時、救いになったのが高橋幸宏さんのラジオ番組。FM横浜だったかな。Four Roses サウンドバー。
お酒のメーカーがスポンサーだったせいか、オールナイトニッポンのような、はっちゃけた幸宏さんではなく大人な幸宏さんで。ゴダール、クロード・ルルーシュ、フランシス・レイ、小津安二郎、笠智衆などのキーワードをさらっと語りかけるのでした。デビュー前の高野寛さんを知りファンになったのも、この番組がきっかけでした。
ある日、幸宏さんのアルバム『EGO』の曲「左岸(LEFT BANK)」がラジオから流れてきました。
恐竜の時代から 変わってないことは
太陽と空と生と死が 在ること
過ぎてしまうこと
向こう岸は 昔 住んでいた所
左岸を 海に向かって
ぼくは歩く
君を愛しながら
泣けました。簡単には泣かない男ですが若かりし院長、泣きました。そして励まされたのです。あれから奮起しました。受験勉強。書道が得意な家人に「背水の陣」と書いてもらった紙を机の前に貼って(笑) 自分が医者をしているのも、幸宏さんの寄り添うような歌声のおかげかもしれません。
大人になり少しずつ分かってきました。この曲には double, triple meaning が暗号として隠されていることを。作詞は鈴木慶一さんであることをお断りしつつ。
死生観をうたっていることは間違いない。つまり、こちらの岸、あちらの岸(彼岸)を詠っているのでしょう。
そして、たぶん LEFT は「左」でもあり尚且つ、leaveの完了形 left、こちらとあちらに「遺されて」「残されて」しまったことも表していると思います。
さらにフランス、パリ市内を流れるセーヌ河も意識しているかもしれません。セーヌの右岸は凱旋門へ向かってブティックが並ぶシャンゼリーゼ通りが見えます。が、対する左岸は哲学者サルトルらが眠るモンパルナス墓地や、カタコンブ・ドゥ・パリが観えます。右岸は現世的であり、左岸はheavenly, はらいそ的なんです。
1stソロアルバム『Saravah!』など彼の作品群からわかるように、フランスに精通していた幸宏さんは「左岸」を歌うとき、セーヌ川の左岸も意識していたと思います。そして私は思うのです。幸宏さんの人生はパリの紋章に描かれている船、そして文言に似ている、と。
「たゆたえども沈まず」(Fluctuat nec mergitur)
うたかた、うつしみ。泡沫、現し身。いずれ移し身。
って、とこかな。
右岸から左岸への移し身。
高橋幸宏さん自著『犬の生活』には、こう書かれています。
「20歳になってまもなく、母が亡くなった。ひ弱だった僕にとって、このときのショックは計り知れず、大きく、救いがたいものだった。ほどなくして、極度の不安神経症が僕を襲った。すでにサディスティック・ミカ・バンドに在籍していた僕だったが、具体的な症状もなしに倒れ、コンサートをキャンセルしたこともあり、一時は脱退を考えたりもした。」(引用終)
それから2年後(22歳時)、リリースされたサディスティック・ミカ・バンド2nd アルバム『黒船』の1曲目「墨絵の国へ」。2分あたり曲調が変わり「しんきろう めざし 船は進む 幻の国へ たどりつくため」と幸宏さんの語りが始まるのですが、当時の精神状態、不安感が声に反映されているように感じます。船出の魅力的な曲ですが、痛々しいのです。でもそれが新たな船出の不安感を醸し出しているようで、リーダー”トノバン”加藤和彦さんのセンスを感じます。
成人前の幸宏さん。父上が経営されていた会社でクーデターが起き、ほどなくして母上が他界され、御家族にかかったストレスは想像できないほど多大なものだったでしょう。
わたしも昨年、父を亡くしました。父と親しくしていただいた小坂忠さんも昨年天国に帰り。幸宏さんまで。ワインの澱が沈むように、気持ちが整理つくまで待ち今日、文をつづりました。YMOの細野晴臣さんふうに言えば、冬越えさ、季節の変わり目さ、くしゃみをひとつ。幸宏さんのアルバム風にいえば『ボク、大丈夫』
10年前、山本耀司さんとの対談中「人生の最後に聴きたい歌は何ですか」の質問(耀司さんからの質問ではない)に、幸宏さんは「本当は音楽なんて最期、死ぬときに聴きたくない」と断りつつプロコル・ハルムの”Pilgrims Progress”(巡礼者の道)を挙げていました。聴けば分かるでしょう。長い航海を終えて、船の中ひとり座り、最後に日誌を書いている男の物語。
幸宏さんは35歳のとき、この曲をカバーしています。先の鈴木慶一さんとのユニット、BEATNIKSのアルバム『EXITENTIALIST A GO GO ビートで行こう』。わたしが高校3年の時、受験勉強しながらよく聞いていました。当時はこの曲の良さが分かりませんでしたが、今は胸に沁みます。70歳で他界した幸宏さん。人生の折り返し地点、35歳の時にはメメント・モリ(死を想え)の境地に達していたのでしょう。
幸宏さんと親しい、景山民夫さん、”トノバン”加藤和彦さん、小坂忠さんらが他界されるたび、私は「大丈夫かな?幸宏さん。変な気を起こさなければいいが」と心配しました。そういう弱そうに見えるところが魅力でもありました。
雄々しく人生の旅路を終えた高橋幸宏さん。しかし、たぶん航海中は「勘弁してよぉww(笑)」とかなんとか言いながら飄々と、淡々と。よく頑張って生き抜いてくれた、と感謝です。
幸宏さんが大きく手を振っている気がします。しかし私の両手はポケットの中に入れたままで。あなたが教えてくれた美学です。
片道切符をもってしまった幸宏さんを送り出す曲は、高橋幸宏「SAYONARA」でも良いのですが、似た曲で。幸宏さんが通った立教高等学校の後輩、佐野元春さんの曲「グッドバイからはじめよう」から。元春さん、すみません。勝手に。ゆるしてください。しかしこれ以上、ぴったりの言葉がみつかりません。
ちょうど波のようにさよならが来ました
言葉はもう 何もいらない ただ見送るだけ
遠く離れる者 ここに残る者
僕が決めてもかまわないなら 何も言わないけれど
どうしてあなたは そんなに 手を振るのだろう
僕の手はポケットの中なのに
わたしは右岸をしばらく たゆたいます
左岸をチラチラ観ながら
ありがとうユキヒロ
ゆっくり休んでください
高橋幸宏よ 永遠なれ
みちとせクリニック
院長 堀田広満
「2023年に入れば安定供給されるようになるかな」と楽観してましたが、漢方の粉薬(エキス剤と呼ばれます)がまだまだ品薄のようです。原因は、漢方が新型コロナウイルス感染症の急性期および慢性期治療に必要とされているから、です。需要があるんですよ。新時代の漢方。
2021年には、全身倦怠感などの新型コロナウイルス感染症の後遺症に補中益気湯が効く、など騒がれ始めていましたが「知る人ぞ知る」ニュースでした。しかし昨年2022年8月には、ついに某社の漢方製剤群が安定供給できないほどとなり、28品目の漢方エキス剤が「生産調整」「限定出荷」となりました。
それがB社、C社…と飛び火したようで、日本国内で漢方エキス製剤をとりあつかう企業が影響を受けています。A社はまだ23品目を出荷できていない(5か月経過した昨年末時点)、とのこと。
さて…当クリニック、みちとせはどうか、というと、生薬そのものを煎じる自由診療なので影響はほぼありません。そもそも漢方のエキス製剤の主な需要は保険診療にあり、保険で十分効果が出るのであれば、それも結構なことです。ただし安定供給は大前提。
たとえてみれば、インスタントコーヒーの在庫がなくなって慌てたお客さんが店員さんに「今度いつ納入されるんですか?」と問い合わせたところで、「とにかく入ると得意先にすぐ売れて、まだ分からないんです!」と現場も状況を把握できていない、というところでしょう。
お客さん。インスタントコーヒーに限らず、コーヒー豆そのものを取り寄せてドリップコーヒーにすれば良いだけの話、かもしれませんぜ。即席では提供できない、アロマの芳醇な香り、濃厚な風味があなたを満たします。
私が危惧しているのは、新型コロナウイルスなど一過性のことではなく、今後かならず起きてくる漢方エキス製剤の価格破壊。インスタントコーヒーにたとえたエキス製剤は、現状の保険診療のままだと(保険の薬価改定などで)値崩れを起こしてきます。中国など他国でも生薬の価値が上がってきており、原価は上昇。一方の保険診療下での売値は、値下がり。となれば、どこかで逆ザヤになってきます。売れば売るだけ企業の赤字に。対策としては生薬の質を落とす、生産農家の人件費を減らす…あまり考えたくないですね。
「保険診療から漢方がなくなるはずが無い」と楽観視する人も多いですが、団塊の世代が団塊でなくなる時代の少し前に、保険診療からの漢方はずしが起きるのでは?と私は考えています。それが私が自由診療に舵をきった理由のひとつです。いや、もっとポジティブに、いにしえから伝わる元々の漢方をお出ししたい、だけなのですが。
いま起きている漢方エキス不足、その混乱は、これからちょっと先の時代の予行演習かもしれません。
あなたもどうですか? ドリップコーヒー。良質な豆をとりそろえるように、適正な生薬が入ってきているか、目を光らせつつ日々、生薬を患者さんにご提供しています。
違いの分かる人には分かる、煎じ生薬。自信をもってお勧めします。
【以上、転載禁止】
みちとせクリニック院長
堀田広満
ちょうど11年前、今日と同じ金曜日、11月4日。
私は、港区白金の北里研究所病院のある人の前で、生前の姿に思いをはせていました。
そして約束しました。
「私は刻み生薬で人々を癒していきます。一生」
村主明彦 医師
北里大学東洋医学総合研究所で3年弱、お世話になった先輩です。2011年11月3日に亡くなる2週間前まで、自分が入院する身でありながら、同研究所で漢方の外来診療をつづけた姿を今もおぼえています。
「どう? 研修たのしい?」
「この饅頭おいしいねぇ!(モグモグモグ)」
「電話番とか、谷口さんにこき使われてない?」(すぐさま後ろから「んもぉ~村主先生たらぁ~」とかわいい声)
「今度いくオペラ公演、楽しみなんだよねぇ」
わたしが北里大学東洋医学総合研究所で研修中、いちばん話しかけてくれた上司です。2009年3月まで研修医を指導する立場であった私。西洋医学はやり残したことはない、と一区切りをつけ翌月、約15年ぶりに「なつかしい」研修医にもどり、東洋医学の研修を同研究所で開始したとき、人懐っこい村主先生は最初のオーベン(指導医)であり、いろいろ気にかけてくれました。
同時期、先生は「回想 漢方医駆け出しの頃」(北里大学東洋医学総合研究所の機関紙『漢方と鍼』133号)に、私のことを見てこんなことを書かれています。
「新年度を迎えるにあたり、新たに研鑽を目的に集う医師に、フレッシュマンであった自分を重ね合わせ雑感を述べてみた」
東洋医学、西洋医学に限らず、研修医には読んでもらいたい内容です。音楽好きには分かるかも。ジョー・ストラマーの名言 ”Punk is attitude, not style” を借りれば「医療はスタイルではない、姿勢だ」ってこと、なんだと思います。
1年目の新米研修医は当時、医局秘書さんがいない時の電話番や来客の対応などもこなしていました(こういうことを通して東洋医学の大御所にも名前をおぼえてもらえるので、私個人は雑用と感じませんが最近の研修医はそう感じるようですね)。
村主先生が他界された2週間後、わたしは日本東洋医学会の専門医試験会場で面接試験を受けていました。2人の試験官から厳しい質問が浴びせられる中、清熱補気湯という処方が著効した患者さんのレポートに目を通した面接官から一言。
「村主先生はこの清熱補気湯がお好きで、よく処方されてましたねぇ。今回は本当に残念なことでした…」と私に声をかけていただきました(たしか杵淵彰先生だった、と記憶しています)。試験中ながら不思議とおだやかな時間がその場に流れたのでした。
あの約束があったから、いろいろな困難を乗り越えてここまでやってきた、と感謝です。もっと振り返ると、私が医者をめざすきっかけをくれた友も医学部受験の浪人中、10月末に天国へかえりました。長く生きていると、あいつの分も、あの先輩の分も、できれば生きてやりたいという思いが増えていきます。笑顔で日々、診療に。1日1日を大切に。結果として長く、多くの患者さんをいやせるように。
村主先生は私が忘年会や医局旅行でくりだす芸を、たいそう喜んでくれました。ご自分の余命を知っていたであろう時期、2011年3月初頭におこなわれた医局旅行で、私が芸でつかった金髪ウィッグを「僕も」と頭にかぶって写真にうつる村主先生は thumbs up して満面の笑みでした。
悲しい思いは消えていき、楽しい思い出が残っていく。不思議なものです。
一生、刻み生薬に関わりつづけるのは、なかなか困難が伴いますが、約束したんで大丈夫。口コミで少しずつ患者さんが増えているのも感謝です。
わたしの運が良いのも、出会ってきた先人たちの思いもあるから。そう信じています。
みちとせクリニック
院長 堀田広満
10月4日(火)の外来を休診します。
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願い申し上げます。
9月24日(土)午後の外来を休診します。
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願い申し上げます。
9月17日(土)の外来を休診します。
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願い申し上げます。
9月2日(金)の外来を休診します。
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願い申し上げます。
7月26日(火)の外来を休診します。
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願い申し上げます。
7月16日(土)の外来を休診します。
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願い申し上げます。