院長の堀田です。
ブログ・ホームページ充実させていきますので、よろしくお願いします。

人々に愛されてきた針灸をふくめた東洋医学の歴史は、ざっくり3,000年もあります。

その歴史の重さを胸に刻み、しかし心持ちは軽く、学んできた医術を社会に還元・貢献・継承していきます。医院名みちとせクリニックにその思いを込めました。

「ちとせ」は七五三のお祝いの千歳飴。あの千歳(ちとせ)です。1,000年3つ、3,000年「みちとせ」。

さて私のクリニックがある、ここ南青山は日本語ロックのパイオニア、はっぴいえんどが活動のモチーフとした「風街」の一部です。はっぴいえんどのドラマー、作詞家の松本隆さんが過ごされた家も私のクリニック近くにありました。

はっぴいえんどの2枚目アルバム、名盤『風街ろまん』を作る際、核となった「風街」とは何か?と問われた際、彼は「自分の記憶で構築された内的な世界。ちょっと抽象的だけど」と語っています。

東京オリンピックに向けた開発が進む中、見えないけど元からあった風景の再構築をした「風街」。その原風景について、松本隆さんがこう答えています。

「子どもの頃は本当に何もない場所だったんだよ。青山通り沿いに梅窓院ってお寺があるでしょ。その角っこから外苑西通りに抜ける細い道が残っているけど、あれが地元のメインストリートだったの。(中略)そもそもキラー通り自体、住宅街のど真ん中を突っ切ってできた道だからさ。すごく乱暴な開発をやったんだよ」

(先々月発売の雑誌『東京人』2021年4月号

「風街」の構想をつくり出すきっかけになったであろう、1964年の東京オリンピックから今年で57年。その松本隆さんが作詞活動を開始し今年50周年。

evergreenなものって、目に見えにくいものだと思います。

南青山をふくめた街を吹き抜けた「風」も、東洋医学の「気」も実体がつかみにくいから永遠性、永続性があるのでしょう。さて…2回目の東京オリンピックの後には、何が残るんでしょうか…私は evergreen をあつめたい、風をあつめたいです。

かく言う私は51歳。
医師となり26年目、国内の東洋医学の最大学会、日本東洋医学会に入会して22年目となります。

正直「長い期間、本当によく勉強してきたよな」とwetな思いと、「あっという間に過ぎたな」というdryな気持ちと両者が同居しています。ファンとしては恐れ多いが私の半生をかえりみるに、松本隆さんも50年を同様にとらえておられるのではないのかな。

今年7月にはトリビュートアルバムが発売されます。
これは買いです。買い。

みちとせクリニック院長 堀田広満