デカルトを中心とした近世の哲学者らによって始まった科学、サイエンスですが、彼が『方法序説』を著した1637年から384年間(2021年現在)経過しており、おおざっぱに言えば、彼らの哲学が科学の主流となって約400年を過ぎました。そろそろ、その哲学に反動がくる、いやもう来ているかと感じています。

「私は目に見えない現象は信じない。またその現象が再現性、つまり繰り返し証明されるものでなければ、信じない」現代科学の主流は、この要素還元論にもとづきます。

私も西洋医学を修める際、西洋哲学は徹底的に仕込まれました。白血病など悪性腫瘍を専門とし移植医療、抗がん剤など化学療法を主体に治療してきた経歴をもつ私は、現在も科学の重要性を否定しません。人間はだまされやすいから、です。

その一方で要素還元論(単純系の科学)が万能ではないことを痛感してきました。臨床現場で患者さんに真剣に対峙し、逃げずに治療を突き詰めればその結論に達するはずです。そして複雑系をとりあつかえる医学、漢方、針灸に出会いました。医者となり5年目(2000)、移植医療にたずさわりつつ日本東洋医学会に入会し、あれから21年。

現在、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が猛威をふるっていますが、科学的な判断を厳密におこなうための治験も十分におこなわれず(というよりも、その緊急性のため行えず)、世界各国でワクチンが接種されています。なのでデルタ株、これから拡大するであろうラムダ株などの更なる変異型が今後、今のワクチンで切り抜けられるかは未知数です。デカルトが言った「科学」的に考えれば。繰り返しの証明ができないので。現時点での正当な科学の答えは「分からない」が正しい。

感染予防のエビデンスに乏しいと言われてきたマスク着用も結局、感染の有無に関係なく重要であることを、皆さんは既に御存知でしょう。コロナワクチンの接種を済ませても、マスクはしばらく必要です。いわゆるブレイクスルー感染ですが、ワクチン接種完了後も新型コロナウイルスに感染する事例が多く、いまイスラエル、イギリスなど各国がこの反省の切っ先に立っています。

コロナ禍の当初、ある番組で「(予防に)非感染者がマスクを着けるのは意味がない」と発言していた医師がいました(単純系の科学では、ある意味正しいです。エビデンスが無いので。ですが、私はCOVID-19に限らずマスクをしてきました)。その際、お笑い界の「殿」が「先生がマスクしているのを見たら、たたいてやるぞ!(笑)」という趣旨で笑わせていましたが、その後、どうなったでしょうかネ。

科学はカッコイイのですが万能ではなく、しかしそれでも重要なものです。単純系の要素還元論、また複雑系の東洋医学はそれぞれ対立するものではなく、補完しあうものと私はとらえます。

そういえば昨年末(2020)から「風の時代」がはじまった、という人もいます。
簡単にいえば、上級国民が主流でなくなり、むしろ庶民が主体となる時代。
マテリアル(モノ、カネ)から情報、精神(伝達、スピリチュアル、愛)へ。
モノ・カネを右から左に動かすだけでは、富が生まれなくなった時代。
むしろ伝達する人、隣人に分け与える人が生きやすくなる一方、自分の手を汚さないサイコパスには生きづらい時代、とも言えましょう。ある意味、正しい反動です。

5年前(2016)わたしが『小児外科』誌に寄稿した「小児漢方の歴史と未来」に、こんな文章があります。
(引用始、図を参照)


「日本史の周期性を論考する。都が京都、鎌倉、江戸と遷ったがおのおの、間隔は約400年である。平安京(794年)から鎌倉開府(1192年)まで貴族による中央集権が続いたが、その後戦国の世となり、関ヶ原の戦い(1600年)までは各領地をもつ武家が乱立した。この約800年のあいだ、主たる医療者は前4世紀が宮廷医、後4世紀は僧医であり、両者は劇的にシフトした。また江戸開府(1603年)から近年まで4世紀間、主な危機は内乱よりも国外にあり、再び中央集権化したが、2001年の9.11以降世界的には内乱、テロが勃発し中世と似た状況にある」
(引用終)

ヒトの寿命が200年、300年と伸びていかない限り、この周期性は失われないと推察しています。これから400年、戦争よりもむしろ内乱・テロに要注意と考えます。香港、ミャンマー、ハイチ、アフガニスタンなど、この2年で様変わりした世界で、日本も変化していくでしょう。

つまり今後、中世還りをするとわたしは考えています。古典にもとづく東洋医学も出番が増えます。「いまさら漢方? 針灸?」と感じる方もいるでしょう。しかし、これからの時代、先祖がのこしてくれた経験値、生薬・針といった手にとれる歴史的遺産が、また医療施設というハード面の境界線を超える垣根の低いボーダーレスな、フットワークの軽さが重要と思います。

今年、厚生労働省が柔軟な対応に踏み切ってくれたオンライン診療も、治験や新薬には不向きですが一方、歴史の蓄積がある治療には向いています。また訪問診療やオンライン診療が増える今後、必要とされる医者は中世・戦国時代の「僧医」と似てくるでしょう。外に出ない内向きな平安時代の「宮廷医」よりも。

前述の論文で、わたしはこうも書きました。
(引用始)
「わが国の医療は緩やかに中世還りをするはずだ。保険診療の財源確保が困難ゆえ患者が自動的・安定的に来院する時代は終わり、医療機関の経営は不安定性を増す。中世に僧医が担った働きのごとく、今後アウトリーチ、社会への働きかけが不可欠で、身体性のみならず精神性、社会性の視座から患者にかかわる医師がより求められるだろう」
(引用終)

最後になりますが、スマトラ島沖地震(2004年)をおぼえているでしょうか? この震災で、巨大な津波を生き延びた象たちがいたのですが、何ゆえでしょうか? 答えは、巨大地震を経験した年老いた象が群中にいたか否か、だそうです。

激しい地震の揺れ、その意味を感じとれたのは、年老いた象でした。その危険性を記憶していた、老人ならぬ老「象」。「逃げろ!」と新しい方向、ベクトルを示せた根拠が「分析」「再現性」ではなく「経験」であった好例です。新しいもの、新しい情報のみに頼ると、細き声を聞き逃すこともあります。

2011年、東日本大震災の津波の際も、同様な津波の経験から建てられた石碑(自然災害伝承碑)を認知していた住民が、石碑より内陸へ逃げるよう周知されていた結果、被災をまぬがれた例もあります。石碑から出ていた先祖の声が聞こえたか、聞く気がなかったか。

サイン、予兆はすべての人に平等にある。が、その意味は人生の経験値、歴史の経験知に拠って変わる、とも学べるかと思います。人類にとって津波級にインパクトの強い、今回の新型コロナウイルス感染症は慢性に経過する症状(long COVID)もあります。経験知の集積である古典に拠りつつ、微力ながら私も東洋医学で貢献したいと願います。

眠っている巨象、起きろ。

【以上、転載禁止】

2021年8月13日

文責 みちとせクリニック

院長 堀田広満