前回、日本で昭和期にひろまった漢方、柴朴湯1について書きました(漢方Q&A 1「そもそも漢方って、なんですか?」)。今回は昨年出版された本の、柴朴湯の記載を通して、正しい伝承がいかに困難かの具体例を考えたいと思います。

『本売る日々』という本です。実は昨年5月3日の記事に「近日、記事にします」としながら、すぐ書かなかったのには理由があります。本書の内容に決定的な間違いを見つけてしまった私は1年間放置し私と同様、誤認に気づく方が出るまで待つことにしました。

が、検索したところ、誰も指摘していません。Amazonでの口コミも高く評価された今なら、記事にしても本書の価値を落とさない、と思い結論から述べます。

佐助なる人物が「たいていの医者が喘病で処方するのは柴朴湯なんだよ。(中略)治療はまず柴朴湯だ(後略)」と語りますが、本書の舞台である江戸時代に、柴朴湯は存在しません

先に断っておきますが、筆者をディスる気は毛頭ありません。むしろ日本漢方の特徴である口訣(くけつ)に着目し、小説に落とし込んでいただいたことを感謝します。日本経済新聞(夕刊、2023年4月11日)には、作者が「医書とは別に医師が治療法などを口伝で残した[口訣集]に行き当たり、視界が開けた」とあり、漢方医のわたしは興味深く拝読しました。

憶測ですが、筆者にアドバイスをした医師がいるのかもしれません。それは、駆風解毒湯加桔梗石膏2という玄人むけの処方や、日本漢方の特徴の一つである口訣など専門知識が本書に登場するから、です。江戸の名医、和田東郭3が著書を残さなかったことなど、深く漢方業界に身をおいた人でなければ知らない史実も出てきます。

しかし失礼ながら、漢方の歴史をよく理解していない先生かもしれません。「いや、あれは柴朴湯ではなく柴苓湯4の間違いです」と、そのドクターは言うかもしれないが…話の筋が気管支喘息の処方なので、柴朴湯が自然なんです。腎炎なら、まだしも。

「昭和40年12月15日」と前書きが書かれた『経験・漢方処方分量集』(監修は大塚敬節・矢数道明)では、柴朴湯のことを「小柴胡合半夏厚朴湯」と記載しており、1965年の段階では、柴朴湯の呼称が固定されていなかったことが分かります(上の図)。もしかすると pre-柴朴湯「小柴胡合半夏厚朴湯」は同処方集が世に出るきっかけをつくった一人、木村長久5が存命中であった昭和16年(1941)までさかのぼる可能性があります。

大塚敬節の師であった湯本求真6(1876-1941)が処方していた、とも伝わりますが、いずれにしても柴朴湯が世に出た時代は江戸ではありません。こういった誤謬、(本書ではないがマウンティングみたいな)詭弁の積み重ねで、元の処方が原作者の意図からズレていくんです。だからオリジナルに近いことが重要。つまり、伝統医学は原典が大切。新しいものが良いとは限らないのです。

私も編集に関わった『漢方医学大全』の処方解説でも、柴朴湯の出典を「小柴胡湯と半夏厚朴湯の合方(本朝経験方)」と記しています。大陸ではなく本邦で開発されたオリジナル処方は、もっと正確に伝承されるべき、と考えます。

話は変わりますが以前、高橋幸宏さん追悼文で、サディスティック・ミカ・バンドの名盤『黒船』中の曲「墨絵の国へ」に関して、私は「(幸宏さんの語りに関して)それが新たな船出の不安感を醸し出しているようで、リーダー”トノバン”加藤和彦さんのセンスを感じます」と記しました。が、この曲の中心に高橋幸宏さんを配したのが、加藤和彦さんではなかった可能性があります。

高橋幸宏“LOVE TOGETHER YUKIHIRO TAKAHASHI 50TH ANNIVERSARY“という本で、このアルバム『黒船』のプロデューサー、クリス・トーマス(業績にBeatlesの『ホワイトアルバム』のアシスタントプロデューサーなど)が、こう語っています。

「『墨絵の国へ』の朗読パートに彼を選んだのは、

彼の声が曲にぴったりな色合いを持っていたから」

つまり幸宏さんの起用は、クリス・トーマスってことです。これも、現場にいた加藤和彦”トノバン”が他界しているので真相は不明ですが。思い込み、って怖いものです。今回、『本売る日々』中の矛盾、柴朴湯について触れましたが、私も痛み分けってことで。

ちなみに加藤和彦さんの映画『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』が、明日5月31日から上映されます。語りは高野寛さん。YMO人脈が好きな人は必見です。

【以上、転載禁止】

みちとせクリニック院長

堀田広満

(補足)

1 柴朴湯:保険診療に収載あり

2 駆風解毒湯加桔梗石膏 くふうげどくとうかききょうせっこう:元は駆風解毒散(さん).保険収載なし

3 和田東郭 わだとうかく

4 柴苓湯:保険診療に収載あり

5 木村長久 きむらちょうきゅう:浅田宗伯の学統.

6 湯本求真 ゆもときゅうしん

みちとせクリニック堀田広満『勿誤薬室方函口訣に引用された療治経験筆記』。

当院の院長、堀田が書いた論文が先月、『漢方の臨床』(2023年、第70巻・第4号)に載りました。

煎じる刻み生薬を扱う医療者で『漢方の臨床』を知らなければ、その人はモグリです。興味があったら近くの漢方薬局や漢方医に聞いてみてください。ちなみに本雑誌を刊行する東亜医学協会は、昭和13年(1938)に大塚敬節矢数道明らが中心となり創立されました。今年で85周年。

ちなみに大塚・矢数の御両名は、堀田が8年間奉職した北里大学東洋医学総合研究所の初代・二代目の所長を務められた東洋医学界の大御所です。おふたりの名前を知らない漢方医がいたら、その人もモグリ(笑)

論文名は『勿誤薬室方函口訣に引用された療治経験筆記』
…そもそも、どう読むの?…と言われそう(笑)

ふつごやくしつほうかんくけつ に引用された りょうじけいけんひっき

さて、この論文。2冊の医書を比較検討したものです。前者『勿誤薬室方函口訣』(1878年刊)は浅田宗伯、後者『療治経験筆記』(1795年成)は津田玄仙の著作です。

両書に共通するのは口訣(くけつ)です。口訣とは、ある処方の用い方のコツを、師が弟子に伝える口伝のこと。その一部が医書となり後世に伝えられました。これは日本独特の文化的な結実で、他国にあまり類をみません。当院を受診される患者さんの診療にも、これらの口訣を活かしています。

この口訣をあつかった小説『本売る日々』が2か月前(2023年3月)、出版されました。同書の著者は2つの賞(中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞)を受けています。日本経済新聞の夕刊で紹介されており、すぐ購入しました。口訣が過去の産物ではなく、現代にも息づいていることが分かり、興味深かったので近日、記事にします。

60歳で時代小説家デビュー、67歳で直木賞を受賞した青山文平 氏が、この本を著わされました。