2025年7月5日に大災害は来ない 「たとえ世界が明日滅びるとしても、私は今日、リンゴの木を植える」
明日2025年7月5日に沖縄、台湾、フィリピン界隈を中心として大災害がくる、という予言を知っていますか? 私は騒がれる相当前から聞いていました。昨年末、当院インスタグラムで看板息子(子豚)に「2025年にくる、とかいう、大災害は来ないから、安心しな」と語らせましたが、大丈夫。来ません。
大切なのは、そう決めることです。
決められないなら、祈ることです。
…まったく近代科学の思考法ではないですね(笑) でも2020年から2024年の間で大きく(土の時代から風の時代に)シフトチェンジし、理解できる人も少なくないと思います。これから量子物理学を中心に新たなパラダイムシフトがどんどん起きるはずです。ユングが提唱した集合的無意識を全面的には受容しませんが、西暦1,600年前後から封印してきた集団心理的なものが再びよみがえる時代に本格的に入ったと感じています。
今年の夏至を迎えるまで、ホームページやインスタグラムの投稿を控えていたのも、猛烈な流動期につながりやすい悪い縁を引き寄せないためです。悪縁というのがあるんです。この10年で私が学んだことですが有難い、大きい経験になりました。こんな言葉があります。
たとえ世界が明日滅びるとしても、私は今日、リンゴの木を植える
私の記憶では、平成がはじまって間もない1990年、医学部2年に柳田邦男『「死の医学」への序章』という本で初めて出会った格言です。将来の進路として終末期医療、ホスピスに興味をもっていた私は、医療界でも当時まだまだタブー視されていた「死の医学」死にゆく患者さんとどう接するか、その重いテーマをとりあつかった本を読んでいました。リンゴの木の話は、この本の冒頭に書かれていたんじゃないかな。
いまの私なら…
「もし日本が明日滅びるとしても、私は今日、患者の手当てをする」
する必要がないのはジタバタ、ドタバタ。壮大なもの、理解不能なものに出会うのは決して悪いことではありません。むしろ、日々どう幸せを感じているか、もしくは感じていないのかを試される良い機会なのかもしれません。
天は子どもを育てるように試練を与えることもあるんです。天に目が向くのは、当たり前の幸せがある時よりも、試練があるときなんで。神様にしてみれば「試練の時だけでなく幸せなときにも同じだけ、感謝の祈りをしてくれんか?」ってことですな。
もし明日、核兵器が飛んでくると分かりつつリンゴの樹を植えるのは、傍目には不毛なことでしょう。しかし他の人に迷惑をかけるわけでもなく、自分も幸せを感じるし、リンゴちゃんにとっても迷惑な話ではないですよね? ordinary people の 祝福あふれる ordinary days に呪いなど無関係。
決断、とはよく言ったもので「呪い」「悪縁」は必ず断ち切れます。そして呪いは断ち切られたら、発信源にブーメランとして帰るだけなんです。当然の帰結。
「幸運の女神の後頭部はハゲている。だから目の前を通り過ぎてしまう前に、前髪をつかみ取れ」という話を聞いたことはあるでしょうか。人間の心理をよくつかんだ、うまい表現だなぁと思います。世の中のビジネスはだいたい、こういう不安をあおることで成立しています。資本主義の究極目標、究極商品は「不安」なんです。
「美しくないと愛されませんよ。いま買いましょう!この化粧品を」
「年金は破綻する可能性があります。いま入りましょう!この保険商品に」
「悪霊をはらいましょう。いまならお布施でなんとか!では、この壺を」
「200年、生きてみませんか? 孫の結婚姿も見たいでしょう!
では、あなたの永遠に生きる意識をこのコンピューターチップに記憶させます。金額は…」
まぁ幸運の女神がハゲてるから良くないんですな。だから不安を呼び込み、熟慮もせず飛びつく。もし不安があるなら、まずは幸運の女神の首根っこをとっつかまえて、その後頭部に「植毛」してやればいいんです。そう。リンゴの樹を植える心意気で。ん?いや、もしかするとその試みは「不毛」かもしれん(笑)
7月5日に過剰な不安をもっているなら、不毛なビジネスの罠にはまりやすい人かもしれません。むしろ「7月5日は何も起こらなかったアルネ。それは、、、ワシが祈ったおかげアルネ!」と奇妙な恍惚感を語る者が出てきたり、なんやかんやで江戸に起きた「ええじゃないか」と似たムーブメントがこれから起きるのでは?と私はそちらが心配です。その乱れ絵図は自己啓発的でエモいどころかキモい(笑)
ややスピリチュアル寄りな話をしましたが、ユングがスピリチュアルな世界を否定しなかったのは「より良く現実を生きるため」だと思います。「人々は共有する無意識(元型 archetype)を先祖から得ていて水面下ではつながっている、だから現実世界で理解不能なことがあっても元型を通じて互いを理解でき得る」という考えなんだと思います。
村上春樹 氏が記す「地下2階」の世界観(村上春樹・川上未映子『みみずくは黄昏に飛び立つ』)は、この集合的無意識に通じている、と個人的には考えています。なので氏の小説は世界にインパクトを与え続けているんだろうな、と。
最近、親が抱いた感情、嗜癖なども子どもや孫に遺伝することが科学的に分かってきています(genetics ではなく epigenetics)。極論を言うと2,000年前、3,000年前の人々が対峙していた世界で観ていたものを、地下何階まで降りていけば出会えるか知らんけど、集合的無意識として後世の人々が薄く共有していて矛盾はないんです。
だからマンガの『呪術廻戦』は渋谷を舞台にしたのかもしれません。無意識下で。江戸時代、大山参りなどで渋谷から西へ向かう人々は、宮益坂の宮益御嶽神社に立ち寄っていますが、それは渋谷はすでに守りの外になると信じられていたからです。今でいえば山手線の内側は江戸。渋谷もふくめた外側は魔界、という感覚で、三軒茶屋も茶屋が三軒しかなく裏寂しいイメージです。
漢字も先祖の遺した情報で、遺伝と言えるかもしれません。呪いと祝いは紙一重。「呪」の「口」は禍(わざわい)の元。不安や他人への責任転嫁を口にする前に、栄光は「私にではなく天に」と感謝し天を指し示す者に祝福は来ます(祝の部首は示偏、示す)。
たとえ世界が明日滅びるとしても、私は今日、リンゴの木を植える
Even if I knew that tomorrow the world would go to pieces,
I would still plant my apple tree.
滅びるの表現 go to pieces はコナゴナになるってことですね。
「口は禍の元」と書いた後なので、コナと口と禍が「コナロ禍」「コロナ禍」に見えてきました。ちょうど風の時代への移行期(2019年末から)におきたCOVID-19のアナグラムにも想えて。
当クリニック、明日7月5日の営業はいつもどおり
明日の院長がジタバタ、ドタバタしていたら生暖かい目で見てやってください(笑)
皆様にとっていつもどおり良い一日でありますように
【以上転載禁止】
2025年7月4日
みちとせクリニック
院長 堀田広満